コンピ参加。前編。
笑って話したり、おなかいっぱいになるまで食べて、ぐっすり眠って。
起きたら全部良い方向に向かってないかなあ。と思っていた半年。
今年の5月からtepPohseenはライブが出来ない状態になっています。
ドラムの志賀さんと演奏を続ける事が出来なくなりました。
過去にも2度お別れをしていて今回は3度目です。バンドの大切な時期に今までよく一緒にやってもらえたなという思いです。感謝。
替えがきく存在ではなかったので
しばらく進退に困った状態でしたが
そんな折にたっちからコンピ参加のお誘いがありました。とても良い内容と熱意を頂き、感動しましたが現在の実情を話して返事を待ってもらいました。
僕のソロアルバム製作と発売の進行もあり、これからどうするべきか僕には全くわかりません。正直、放置して自分の心変わりを待ちました。2ヶ月くらい。ごめんなさい。
演奏したい、という気持ちになったきっかけは思い出せないので少しずつ考えが変わって行ったのでしょうがとにかく時間がかかりました。
その頃には、ベースの小貫さんとも関係が保てなくなり始めていましたがサポートドラムとして、以前からよく一緒に演奏をしている樺島君に録音だけお願いをしてたっちにレコーディング用のラジカセを送ってもらいました。
皆を手配するも、予定がまるで合わない中、なんとか工面して
丸山君は広島から
小貫さんのお店の営業終了後夜中の0時から2時間リハも打ち合わせもなし、やり直しなしの一発ラジカセ録音。
崩壊していくバンドの、もう僕にも制御が出来ない中で、今にも零れ落ちそうな演奏を数回、後はラジカセに任せました。
少し家で再生してみたところ回転数がおかしい。あれか、地域による交流の周波数の違いかなどと思いもしたが知らん、
2つだけまともなテイクがありました。
3、4分の、途中で演奏を止めたものと
最後まで遂げた十分程の長いテイク。どちらも問題はあるが演奏がとても良く出来ていました。
もう何から何まで上手くいかねーなと思いたっちにラジカセを送り返した。
たっちからはとても良い反応が返って来ていたので安心したが10分あるテイクを選んでいた。その事についてはもう謝るだけ無駄でどうにもならないので今でもなお、たっちには触れていません。たっちだけど。
コンピのレコ発にはソロで参加する事が決まり、カセットコンピも僕のソロも発売の目処が立って来たところで小貫さんから脱退の連絡を頂いた。前述していたとおり、予感はしていたし、対策をしなかったのでまあそうだよね、思いました。俺に出来る事が何もなかったというのが1番だけど。小貫さんも僕と共に何回もの苦難を乗り越えてくれた長いメンバーでした。今まで本当にありがとう。
ああもう何も無くなってしまったな。
涙も出ねーや。
そんなところに今度は話があるからと丸山君からお誘いがあった。良識派の丸山君なのでこれで最期だと思いました。わかったよ、もうどうにでもしてください、最悪はもういいからメールにしてくれよと返信しそうになったが折角2ヶ月連続で来福していた丸山君に会ってみると「やめる理由はない、どうしましょうか」との事で2人で大いに飲んだ。最後の新幹線乗り場を見送る俺のハンカチーフは木綿で出来ていたし、思わずカムバーックと叫びそうになったがダメだよ。そういうとこだよ、オレ。
この時の気持ちは忘れる事が出来ないでしょう。
とりあえず弦楽器2人いれば最初期のteのように始まる事が出来ると思い、現在はリズム隊サポートをお願いして調整中。上手く行くかどうかはわからないけど試さずにはおけない曲がどんどん出来る。
神戸ヘラバラウンジ、アラウンド
2018年の話。
今回、oopnumの上田君からお誘いがありソロの演奏で神戸ヘラバラウンジ出演となった。
ヘラバラウンジはとても行きたいと思っていたし、上田君とも会いたかったので嬉しく思い、前のめりで出演を快諾。
10月15日にソロ音源発売となり、演奏の為の準備を進めていて前日など4時間スタジオに入ったりとにかく念入りに潮が満ちていった。
ずっと待ち望んでいた新しい事が始まる。
当日、完全に自由なオレは午前のうちに新幹線を捕まえて神戸へと向かった。
新幹線車内ではいつものようにビールを飲んで楽しむ、という事もなく
やはり環境設定の確認と編曲をした。このたび、初の試みでギターを持って行かずに演奏する。
何というかギターを持って行くと必ずそちらに囚われて何か集中出来ないと思う事があったし、ギターの出力を確保するとどうしてもラップトップの音質と混ざらずに変に別れて聴こえてしまうので。
恐らくこれは音響に関しての知識不足だなと知りつつじゃあ混ぜなきゃいいじゃんという答えの下、今日の朝を迎えたのだ。集中に向けて。
神戸には13時に入り、時間もあったので久しぶりに三宮を散策した。
今回地下鉄から街に入るのは初めてで少し面食らった。記憶よりずっと派手な印象で何というか街の雰囲気や自販機の挙動に至るまでなんか油断出来ない感じの街。土曜日という事もあり雑踏と人いきれ、街宣車の怒号。空は青かった。
場所を確認しようとマップを見たら現在地と目的地が重なっていた。顔を上げてみたら交差点の反対側にヘラバラウンジの看板が見えた。
時間も宜しかったのでそのまま、まだ遊びたいと嫌がるスーツケースを引きずって入場からリハ準備。
準備していると北畠君ことバタやんと再会。ベアーズでよくteを観に来てくれていてとても楽しいヘラバラウンジのスタッフだ。と思ってたらドラマーの様な道具を持っていて、思っていたより身長が高くて戸惑ってしまった。オレの記憶力はどうなっているのか。
そして本日共演の mandogでドラムを叩くというので何か引き締まってしまった。リハからとてもすごい演奏だったので音楽好きな反面、自分の
立場があるので緊張が勝つ。
自分のリハも不安な事なく終了、
PAの方がとても親切であった上に
音作りが早かった。
呼んでくれた上田君も登場していてギター持って来てないんすか?と聞かれてしまったので上記の内容を話し、期待してもらう事にした。
少し息抜きし、外へ。
坂の多い町はその割に苦労も感じさせずオレにとって新鮮な事だらけだ。また、wild liliesの演奏もものすごく良かった。
思いがけない事ばかりで嬉しい、自分がそこにいる事が出来て嬉しい。
他の出演者を観て少し物怖じしないでもなかったが今回、ソロ演奏の内容を一新するにあたり、いつもとさらに違う自らの仕掛けにドキドキしていた。
改造した2メートルの恐竜の空気で膨らむ着ぐるみを用意していた。
これは数年前に見た夢が始まりで怪獣がノイズを出しながら凄い声で吠えているものだった。
着ぐるみ、というとエンターテイメント的に思われるかもしれないが
自分の内面や気持ちを外見に出す事が出来る素晴らしいアイデアだ。ナイスアイデア。あと、少しだけ呆れ顔になる人達の顔も楽しみにしていたかもしれない。
とまれ開場し、僕は自分の出番を待ち、準備していた。やりたい事の内容がシビアだったので酒なども飲まず共演の皆の素晴らしい演奏が進んでいった。
僕のセッティングの時間になり、道具を準備し終わったところで歯車は回り始めた。
インターフェース(以下AI)からまとめてステレオでPAに出していたがLが来ていないという知らせを受けた。
AIもpcも再起動したがLは出なかった
。AIのソフトを確認するという事も思いつかないまま、このままではマズイのでPAにお願いしてステレオミニジャックから直接アウトしてAIはとばした。音は出るようになったがまとめていたマイクのラインを卓で増やしたりして手間がかかった。この時点でトラブルが会場に伝わっていたがとにかく演奏を始めようと思った。
ところが今度はマイクがならない。オーノー。問題点がわかりやっとオーケー。
さあ、始めるぞ、とプレイボタンを押そうとしたところ、デスクトップ画面にポインタが見つからない。20秒は出てこなかったか。実際は3.4秒だったかもしれないがすでにDJは止まり、やっと始めるサインを出したオレにはとても長い時間だった。起きる事は全部起きた。pcが動いてるだけ有難かった。
とにかく随分手間をとったしこの時点で汗だくになったが始まったのだ。ヘラヘラせずに心の底からおまたせいたしました。ありがとうございますとアナウンスし、演奏が始まった。
一曲目は好調で、今回1番心配していた、2曲目のファイルを開く数秒間も上手につなげた。
アルバムから「detune」。現場DAWホストでリミックスするスタイルを取り、少しずつグルーブ増してく感じでとても良かった。楽しい。長いスネアロールのクリップを入れてここだとばかりに着ぐるみを着てすごいでかい音出してやろうと思った。
着ぐるみは膨らまなかった。着ている間にチャックが壊れ、密閉されず
何にも起きなかった。
怪獣になれなかった。
しばらく脱いだり着ようとしたりで大分マズかった。
その時点とさっきからのアレコレで観ている人達にはやりたい事も失敗も全部
バレバレでオレはとにかく取り繕えるものも何もなくとてもすごい空気を作ってしまった。やってしまった。皆さん、ちょっと自分に置き換えて想像してみて下さい。鳥肌だから。ホントマジですごいから。
しかし、じゃあわかりました俺にも矜持があります。音楽に集中しますと思い直したところで
ホストが落ちた。
もうボロボロである。とっさにmp3で次の曲を流して難を逃れたが、所詮再生してるだけなので、ステージでpcを観ているだけの状態になり完全に膝が折れそうだった。
神戸まで来て何をしているんだオレは。何だか自壊という言葉まで浮かんだぞ。何だそれ。
何でこんな事になってるんだ、ギターならこんな事になってなかった。準備したのか?再生しているトラックを見つめながら色々と反芻するものがあったが
準備はした。練習もしていたし俺らしい、余計なことまで入れてやりたい事をやっている。
じゃあ何で失敗してるのか!
人に呼んでもらって、人に聴いてもらって何だこれは、この状況は何だ!と自分に訴えたところで急に答えが出た。
やりたい事をやってるからだろ!
新しい事に挑戦してるから今失敗してるんだろ、と急に絶望の港から船が出港した。違うホストでプラグインだけ立ち上げて、演奏出来る準備をせめて今の曲が終わるまでにやろうとした。
別にライブ手法としては世界的に新しくとも何もない。この方法で今更
失敗するのも多分世界中でオレくらいだ
今この自らの未知による最高の失敗を誇らしく思い、その目の前の人達に演奏で聴いてもらいたくなった。全てが愛おしくなり、俺はライブを遂げた。まさにライブだった。等身大のオレが全部出た。
その後もミスも事故も続いたが、すでに恐ろしいものなどない。どうと言う事はなく、実験と冒険の第一歩を踏み出した。
ライブを終えた俺に憐れみの言葉は誰一人掛けてこなかった、と思います。
俺一人、勝手に誇らしく演奏を終えて空気的にマズイかな、と思ってしまったが
最後の mandogはさすが凄まじい演奏を行なっていて何も関係なかった。
終演後、物販の席にいたらCDが売れてしまった。持って来ていた新しい予備の梱包まで開けた時は少し涙出そうだった。さっきのライブ中の気持ちや、これまでの事が思い起こされてしまった。また、一人一人感想をくれたので嬉しかった。中には、さっきのあの曲入ってますか?とか聴いてみたくなりました、とかなんかもう嬉し過ぎでしょ。俺は1人1人に厚く感謝の意を伝え、とても良いCDです、聴いてくれてありがとうございますと必ず付け加えた。
tepPohseenの手持ちも売り切れたのでなんか感無量だ。
後になってわかったがヘラバラウンジの木村さんやバタやんがとても前から気にしてくれて、プッシュしてくれていたせいもある。
退館後には木村さん黒い森キヨシさん(!)、バタやん、キム君達と上田君の家で飲もうという事になり移動した。
途中のコンビニエンスストアではおでんを買い占め、酒を詰め込み、左から右まで食品を買い込み、普通に見たら下品な行動なのかもしれないが、その時の友人の「買い占めてやりましたよ!」という一言はすごく英雄的でかっこよかった。
途中参加になった木村さんとキヨシさん達と共に大きな話や小さな話、関西の話など聞いたり喋ったり。
次は黒い森と共演させて頂く約束、
木村さんから、失敗もあったけどさすがよくあそこから持ち直した。と言われ実はとても感動したりした。
バタやんにも物凄く嬉しい事を言われた。この尊敬する新しい友人達と
朝8時まで飲んでオレは寝た。
3時間後に起きて14時まで大好きな上田君と2人で飲んでオレは福岡に帰った。
ヘラバラウンジ、スタッフの皆様、上田君、共演の皆様、聴いてくれた方々本当にありがとうございます。
次はたっち渾身の企画「LIFE IS MUSIC」で東京、小岩のブッシュバッシュだ。
過去から来た未来
またちょっと昔の話から始まるのでなんだか苦手な「懐かしがってる」とかそういう印象にならないように気をつけて書きたいです。
その時はなんかずっとリアリティはなかったですねー。遠い世界の音楽の様に聴こえてて、なんだろ。海外とかよりもよっぽど遠くに感じてました。
その周辺の音楽は持ってる数が少ないながらも繰り返して聴いてる感じ。ホントは沢山種類があったんだけど通販は苦手だしお金もないし。持ってるものを聴きながら、勝手にこうだろうか、ああだろうかと想像したり。
それできっと僕の中で何だか形のない何か巨大なものになってしまって
よくわからない音楽。
一度1人でそれが何なのか確認しに行ったが、何も調べずに行ったので当然の空振り。
そんな事はすっかり忘れて、いっぱしにアマチュアバンドの体でライブだのなんだのしてすごく調子に乗ってる時ですね。突然の出現。
見汐に突然言われたのは確か
大阪にいった埋火の福岡でのイベントだったと思うのですが、
「こちら、ギューンカセットの須原さん」
信用しなかったです。そんなバカなと思いました。実在すると思ってなかったので。しかしながら目の前に在る。記憶に遠い、クッキーシーンの創刊号の行間から現れ、CDの隅っこのファズフェイスが目の前に人として在る。
誇張はいけないので書いておくと、僕は正式にはギューンカセットのCDはもっていなかったので飛びついて噛み付くような勢いもあったがつまづくような感覚もあった。
完全に面喰らってしまいました。
友達の知る僕の通り、当時は今より口も態度も考えも年収も何から何まで悪かったのですがその分正直で、変な挨拶をした。
「はじめまして、最初にこれからと今からの全部のお礼を言っておきます僕はいわゆる関西、大阪の音楽家に物凄く影響を受けていてその世界を支え、紹介し続けたギューンカセットにとても大きな思い入れがあります。が、ギューンカセットから音源を通販した事はありません。そして関西のこれからも紹介し続けてくれると思いますのでその事について本当にありがとうございます。」
というような滅茶苦茶な挨拶を前傾姿勢で行ったと思います。一気に思いつくまま。
後年になって本人に確認してみたところ
「いや、君は焼酎瓶持ってきて呑みますよね?っていきなり挑戦的な態度だったよ」
と言われたので真実は時空の彼方に消えて、今頃はどこか知らない宇宙の星となっている事でしょう。
とまれ、その席では僕はいつか殺害塩化ビニールから物凄くキレイな作品を出したいです、等と聞かれてもいない、どの方向に向かっても失礼な発言を繰り返していたような、、
本心でもあったけど。
何というか、いくら好きだからと言って目の前の人の大きな傘の下に入ろうとしない。もしくは入りたがらないようにしようという意識はあったんかな、、、
好きだし偉大だとわかっているので何かもうへりくだりたくないんですね。尊敬してても態度に出さない。
そう、全部こっちの理由。もうホントオレ迷惑な奴。不愉快マシーン。
この場を借りて...使って謝罪。
すみません。ちゃんと反省してますし、損もしてます。近年改まっています。改心しました。
話が逆方向なので。
本当は須原さんに関西の事やギューンカセット周辺の事を根掘り葉堀り聴きたい事だらけだったが、こっちは反抗と抵抗と弱さの固まりだしベースプレイヤーとしての須原さんの方にも参ってしまった。知りたい事はとりあえず音楽で出版されてるんだからそれを聴けば良い。
音楽家の音楽以外の事知ってどうすんの?と思うようになりました。
それでも知った、
当時皆も知るギューンカセットの大変売れてしまったヒット作は全部手作業でダビング。間に合わないからダブルカセットデッキを5.6台?買ってきて休みなく四倍速ダビングしたという狂った話はとても面白かった。興奮した。
それから幾度か共演をし、他愛もない話を聞いたりうーん、、何だっけ?
持っている大好きなレコードをただ目の前にあるという理由だけでまた買ってしまう話とかー
時間がない時は違う音源を同時に試聴してしまう話とか、、、聞いたような。あとアニメ。
面白いエピソードや、歴史はもっと身近な人や媒体に任せるとして。
とても人の良い、その裏側はかなり変わった人だ。話していると何かこう、生きているという事を実感します。何の事かわかんないけど。
年月を重ね、2016年にtepPohseenの1st
を出してもらった時の感動はずっと僕の大事です。何しろ10代の時から存在がとても好きだけど正体がよくわからないレーベル。初めて言いますが確実に僕のルーツです。誰がいるかも、もうなんか何が出て来るのかわかんないところから自分達まで出てしもらった。ホントにわからないレーベル。
多分、自主レーベルとかインディーズレーベルとかいう言葉の先頭だと思います。正確には違うと思うけどホントにその印象。
当時
失礼ながら最弱、最小単位の規模と流通で大手レコードが出さないような最高のアーティストやその音源を
発表するというカッコの良さはステージには無い、音楽の1つのカッコ良さだ。みんな自主レーベルにステータスを見出した。少なくとも僕はそうだ。弱くて強い、汚いけど美しいというような類の。
20年活動してたのに現代のまともなリリースをしたことが無かったので
沢山の相談に乗ってもらいレコ発のような事を重ねた時は世界が一変しました。嘘がホントになり、急に色々なものが開いた。何かにも書いたけど僕はその日に生まれたような気分でさえあった。
誰でも知る通り、何をしたから、何処から出したからスゴイ、という事は全くありません。周りがエライから自分もエライなんて事もありません。余計に自分の小ささを思い知るだけの事です。
人のおかげでただその場にいるなんて僕には耐えられません。
以来、余計に真剣に音楽をするようになりました。必死過ぎて色々見えなくなり僕の人格もあって今でもよく失敗するのですが、そんな事どうだって宜しい。
誰でも何でも、真剣にやっています。どんな形でも。どんなやり方でも態度でも。やってなくても。
とにかく音源を出す事で色々教えてもらい、黄金の体験をしました。
その大きな傘にも結局入れてもらってしまって色々面倒と迷惑を重ねてしまいましたが...
ある程度の時期が過ぎると流石に色々落ち着いて、連絡を取ることも減りはじめ、これは次の何かに進まなければいけないという事かなあと思い、
ソロを始めるとやりたい事に対して何が足りなくて、何が出来てなくてと再確認。
バカになりきれる程賢くも無く
カッコつける程の中身も無い
やりたくない事をやる程の忍耐も無い
僕でさえ自分を見つめ直したりします。でもやっぱり見えないからもうとにかく進むしかないなあと思い、
色々な人の助けもあり作りたかった音源の制作を始めたり。
何故か、何故だか録音は上手くいってしまい何かよくわかんないとても妙な良いものが出来ました。
オレのソロは流石に興味ないだろうなと思っていたところ、
「出来上がったら聞かしてな」と言われたので、断られた時のショックを少なくする為に「出してもらえるんですか?」と軽い感じで聞いてみたら「出そか」と言われたので冷静に興奮した。
ホントに読めない、わからないレーベルだ。
大変な気持ちになった。
大変な事になった。もうホントに他にやりたい事など何もない、決定的に人生と音楽とその活動が離れなくなりました。
誤解を恐れずに言えばギューンカセットに関しては何も知らないけど、何も知らないから、須原さんとは違う意味で、違う角度で須原さんよりギューンカセットを愛してるかもしれない。絶対言い過ぎだけど。
tepPohseenの時も、今回のソロ作「code」についても
須原さんから直接感想をもらった事はありません。今ではたまに一緒に演奏してくれたり。
ホントによくわからない最高のレーベルからリリースします。10月15日。
最初に会った時に未来の分の御礼を言っておいてよかった。
遅くなったけど5月19.20日
よだーん
といったわけで録音も終わりもう少ししたら?僕1人の音源が発売されるのです。
作りたい!と思ってからの半年、多分8曲入りの予定です。録り終わってから実感したのですが僕の名前もタイトルも何も決めてない。
自分を名付けるのは未だに苦手なので困った。本名の浅田 良にしたろか。
とはいえ、いつの頃からかASDと名乗ってはいて(pcのキーボードにも3つ並んでいて少しは面白いかと思った。)周りもそう表記してくれていたがそのままではいけない気がしてます根拠ないけど。
じゃあ今度は、ASDをシンセのアンプになぞらえてAアタック、Sサスティン、Dディケイとして「良」とリリースのRを足してASDRにしてみようか。音源を発売する「リリース」にも引っかかるわけでイェー、トリプルミーニングだーよく出来た名前だぜ。
多分しない。シンセあんま関係ないし。どうしようか。
love is overという曲があってそれもよくL.Oと表現するのです。Iは要りませんか?となるのですが要りません。「あいはおしまい」です。余談
余談ついでですが
音楽は自由だ!という言葉は大変に素晴らしく、諸手を挙げてそうだそうだ!と大騒ぎしたくもなるのですがでは何に対して、どの様に自由なのかとなってきます。音楽の不自由とは何か?
まあ何だって良いのですが
音楽を知る、他人の言ってる事を聞く、楽器を演奏する、楽曲を作るという事で自分を変えたい、というのが大筋なので今の自分を許すという意味での「音楽は自由」という言葉は無しかなーと思ったり。楽しさに捕まって好奇心と向上心、探求心が減少するのは嫌だ。
音楽は自由なので気を張らずに?やった方が良い、という人も必要ですけども。
何が言いたいんだっけ?いつも通り何でもないんだっけ?
桜の季節
春になってからはなんかソワソワする。素敵な事が始まりそうな、何だかああもう焦れったいような。
今すぐにでもやりたい事だけど準備期間。準備、準備。