V.A「MITOHOS」に参加した曲について。

2020年の9月頃、

loolowningen and the far east idiotsから

V.A「MITOHOS」のお話を伺い、参加させて頂く事となった。

https://deaftouch.bandcamp.com/

お誘いの文面はとても誘惑的かつ、エキサイトな言葉が連なっていて僕はドキドキしてしまい丁寧に描かれたそのメールはもはや文章と言うよりも絵画の様にみえてしまってもう途中から斜めに読んだり下から読んだり回転してみたりで

一向、読み進むと言う事がなく、または読んでしまうという事が惜しくてしょうがなかった。

僕が冬の動物であったのならばついに寒い間は口の中に頬張っていたかもしれない。

ともあれどうにか読了し返信、

参加決定。

近年は、僕自身の音楽との付き合い方も変化が出てきて新しい音楽に対して単独の音源、いわゆるアルバムで聴くことが少なくなってきた気がします。

プレイリストを作っていたり、映像込みのものであったり。何かをしながら聴いていたり。

自分が作りたいものを作れば良い、という最終的かつ永遠的な運命に従いそんな事は気にせず多数の曲をつくって収録していれば良いのですがそんな手法もやってみたいよね。連続しない音楽。

加えて何かこうコラージュ音楽の様な面白さ。

サンプル集になるか一つの「音源」になるか?

 

録音の締切り時間は十二分にあるし

出来上がってないけど丁度録音したい曲

もある。スタジオもある。

とても良い状態でした。

 

しかしながら前回の日記のとおり

僕らは1人残らず濃厚接触者、もしくはそれ以上の状態となり

持っている時間の大半を「自粛期間」

に使う事になってしまいました。

ただ、この期間は僕たちが住んでいる地方ではまだ少ない事例だった事もあり、現在社会と音楽活動について前例がない状態で当事者として考え、行動する事となり多くの事を学びました。

話をしてくれたたくさんの人達に感謝を。

そうした事情の中、〆切を8日間オーバーし、「シーケンスが見る夢」を完成しました。

 

タイトルについては...完全に作りたいと思った曲のイメージだけです。杏理さんがつけてくれた歌詞とは多分剥離してるかも。

「進むべき未来」みたいな意味合いかもしれないけどもう少し違う類のSFにしたいと思いました。

サイエンス・フィクション。音楽ではあんま聞かない単語かなー、とか。

 

前述の通り、身の回りの環境が大変

厳しかった事もあり逆境、と一言

では済まされない中、作りたかった曲は

停止しない事、奪わせない事。

怒りに言動や音量、スピードをコントロールさせない事。

 

単語や擬音を使わずに曲間から頭をもたげだした大きな鳥は黄昏れの世界を想像力の翼を広げて飛んでいったのでフェードアウトにしました。多分またライブやスタジオでフェードインしてきます。

 

ちょっとバラバラだし、わけわかんない文章だけど。もうこれ以上は時間だけがかかるしきっと最後まで正確には書いてしまえないので投稿します。

 

他のバンドの収録曲も、一つずつ感想を伝えたい程どれも良いです。

是非。

 

9/21の事について。

まず初めに、今回の事で把握も出来ない程の多数の方に多大なご迷惑をお掛けした事に心よりお詫びを申し上げます。

 

また、当日より一ヶ月以上も経過するなか、現在まで報告や反省、再発防止の為の対策が表明されていない事に重ねてお詫び申し上げます。

 

以下、出来る限りわかりやすく端的にまとめさせて頂きました。

 

・出来事

9/21、cafe and bar gigi にて行われた「ORANGE JUICE vol.2」というライブイベントで新型コロナウィルスのクラスター(感染者集団)

発生がありました。一部報道では感染者の数は7人、8人とも言われましたが、実際はそれよりも多くの陽性者がいたのではないかと推測しています。私はそのイベントに私が主となるバンド、tepPohseenで演奏者として参加していました。

・経緯

前月、主催よりイベント内容の説明と共に演奏の要請を受け、新型コロナウィルス感染対策の有無と何か考えがあるという事を簡単にだけ確認した私は予定を合わせ、出演を承諾致しました。

以降、当日まで連絡は取らず私はタイムスケジュール等の事前確認を怠りました。

リハーサル時では換気の実施と体温計、消毒液など簡単な備品はありましたがどのような使い方でどのように徹底されるかの確認を怠りました。

 

・イベント開催時の状況

こちらに関しては当日来場していた藤田進也氏のTwitterアカウントにて手記があり、私よりも正確に現場を把握しているので恐れ入りますが参照をお願いします。引用に関して、ご本人の許可を得ています。

https://twitter.com/fuji_s/status/1316320958274174978?s=21

 

・原因

当日以来に初めて、10/19に対面して判明した事でもありますが

主催者の新型コロナウィルスに対しての考えが大きな原因だと考えます。「新型コロナウィルスはこれから社会に浸透していくもの、いつかは感染するものであり、そういうものの為に社会的な活動を停止する必要はない」という考えであった事。平素からほぼ無対策で生活している事。また、現在コロナ禍と言われる社会において、その姿勢で開催するにも関わらず、その事を明示せずに各出演者に出演依頼をし、集客を行った事。

当日簡単な装備は用意しつつも重要視せず、感染症への対策がほとんどなされていなかった事です。

 

以下、私自身の原因と反省点です。

 

私個人として、経緯の内容で表しましたように事前に確認する事で、開催を止める、出演を辞退する、または当日になっても中止を求める事が出来たのではないか、と深く反省しております。当然対策がなされている、との思い込みがありました。

また平素からあまり主催者や共演者同士のコンタクトや会話をしない私は、(しかしながら、この日は紹介したいと言われ拒絶せず、共演者や主催者のいる飲食店に同行しています...)この社会状況であるにも関わらずいつも通りの態度で臨んでしまい、この事態を引き起こす、看過する一因ともなりました。

今回コロナ禍におけるイベント出演に対してイベントの意図をよく確認する事、

当日に関しましても事前に新型コロナウィルス感染対策に関し、共演者含めミーティングを提案する等よく意思の疎通をする事が必要だったと反省しています。

緊急事態宣言も明け、少しずつの緩和が私自身の気の緩み、警戒心の緩みを生みました。この事を強く受け止め、自覚し、二度と同じ事を繰り返さないよう反省して参ります。

誠に申し訳ございません。

 

人の思想は自由ですが、 

主催者にはその思想が今回コロナ禍のもとにおいて、それを明示せずに開催する事、それがどのような事態を引き起こすか、今現在では関係すらしていなかったはずの方たちが大きな犠牲を支払い続けている事を説明し理解して頂きました。

また主催者自身も当日21日から状況が変わるにつれ、自分の考えと現実の整合性が取れていない事に自覚し、怯えながらも認める事が出来ずにいるSNSへの投稿や言動が続いており10/19に対面した時には

憔悴している印象がありました。

思いつく限りの言葉を伝えた後に、

反省した主催者本人からSNSの使用を差し控える事と音楽活動はしばらく控える事、自らが引き起こした事態だと認め、関係した皆様や不本意ながら関係させられる事となった皆様に深くお詫びをしておりました。

このような事を2度と繰り返さないだろうと思います。

 

最後に、私が参加を決めたイベントにより、大変なご迷惑をお掛けする事となったにも関わらず、停滞した私を勇気付け、前進のために支え続けてくれた多くの友人達やメンバーに感謝をします。

 

そして本当に申し訳ございません。

同じ事がないよう、必ず進歩します。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

RE:神戸ヘラバラウンジ

という前回の記憶から必ず戻らなければ

(進まなければ)ならない場所となった神戸というかヘラバラウンジ。

 

今回連絡をくれたのはスタッフのバタやん。本当にありがとう、本当にありがとうございますと、出演快諾の返信を出した後に二度唇に言葉を重ねた。

 

新しい曲等もライブで演奏しだして馴染み始めていたので楽しみしかない。

 

今回は今までやってなかったL.Oを聴いてもらいたいな、という人がいたので練習したのですが、たった一回の練習で出来てしまったのです。すごいねみんな。

そんな中、広島在住の丸山くんから連絡があり2年ぶり?の参加が決定。かねてからの願いがいきなり整った。3ギター。マジか。

 

当日朝7時福岡市の天神にて集合し車でゴー。

バンドワゴンなんて何年ぶりか。

やはり車内ではどうでもよいような容易い話などしたりで壁にへばり付くような感じでワゴンは地図を北上していった。

途中、ドラムの篠原くんが生涯でこんなに朝ご飯食べたの初めて、と言った一言が印象に残った。

到着時間が確定しだした頃には現地到着済みの丸山君からどのスタジオも空いてませんのお知らせ。

 

そうなんですわかってました。わかっていたのに(わかってないから)何も対策せずにいたし、到着時間も曖昧なままだった。当然の結果が目の前にあるだけ。

 

「しょうがないけどこれで演奏に集中出来るね。」

となんだか納得してしまいそうな、真逆の事を皆の顔も見ずに言ってしまった。

 

ヘラバラウンジに全員到着後リハへ。

前回の事もありスタッフの方に必要以上に弱腰で接してしまった僕のバカ。

しかしやはり問題無さそう。

バーカンの人まで覚えていてくれたので嬉しかった。というかそれだけの事をやってしまったので複雑だけど。

その後少し散策。全員で空前絶後の素敵な餃子屋さんに入り談笑。ああ丸山君よ。杏理さんが今日は楽しい気がする、と言っていたので勇気が湧いた。

 

1番目はいかんせん花おこし、ライブは初めてだったけどCDはよく聴いていたのでとても嬉しかった。歌もの、とかそういう区分良くない。一口で言ってしまえない。何か前衛的な要素や、人と時間と居場所の距離感。音源のスティールギターがない状態もとても良かった。

無論音源のスティールギターは最高だ。

ないものがあってあったものがなくなって。その過程が演奏で聴こえてきたような。好きな演奏だからって話かけたりするのは僕の悪い癖だな。感動したらそれで良いじゃないか。

 

続いてacid clank、前もって音源聴いていたが本日はバンド編成?という形なのか。

最初の印象よりカタチのある演奏で色々なところに楽曲への気遣いや聴いてもらい方?それと気持ちとメロディの兼ね合いがとても素晴らしかった。勉強になります。違う形態だとどうなるのか。

 

村岡充(of Test Pattern)

岡山の音楽家、以前福岡でテストパターンを見ていたのでとても楽しみにしていました、もうとても素敵でした。1人でどうするのか全くわからなかった。

フォークと音響が混ざりあい広がっていく様は聴覚的どころか視覚的にも色が付いて揺れる印象。ディレイで脚色されたリズムとテンポは好きな所を選んで好きな速さと拍で聴けます。

最後の曲はいかんせん花おこしのドラム北畠氏。バタやんの事だが演奏してる時は敬意をもって。

 

あんまり聴いた音楽の感想を勝手に書いたりするの良くないな、と思っているのですがなんとなく。

すみません。その日の出来事を敢えてとばすのも不自然かと思い。

続く僕ら5人はたくさんの嬉しい皆様のおかげで全5曲演奏。ホントに嬉しかった。最高のメンバーだ。皆でヘラバラウンジで夜中まで遊んでもらった。前回のように木村さんと長く話せなかったのが心残りだ。

途中、居酒屋等を経てそろそろという時に断固としてoopnumの上田君が僕とマッシブを連れて帰ってくれたのでそのまま眠りの地へ入国。

三時間後、不意に目を覚ました僕は自分の家なのに寝るところがない上田君と目が合った。結局たくさんの人が上田くんの家に来ていた。

「じゃあ行きましょうか」と言われたオレは訝しげな顔をしていたかもしれない。散歩ですよ、とブルース調に重ねてきたのでオレはその通り靴を履いた。背後にはいつの間にかバタやんがいて「散歩と聞こえて」と一緒に扉を出た。

男3人、朝の7時。ピチカートファイブの曲にそんなタイトルあったような気がする。

やはり六甲道も坂の街の印象で何も知らないオレは新鮮で楽しかった。

 

上田君はオレの年齢も知らないのに厄年でしょ?と言ってきたのでそのまま神社に入りここで落とせるものは落とした。

と思う。

 

今度は神戸製鉄所に向けて歩くと夜勤を終えた人たちとすれ違う。巨大な煙突は

街のどこからでも見えそうで雄大だ。

バタやんは煙突について、もっとカッコいい筈だった。と煙突と昔の同級生だったように煙突をなじっていて面白かった。

流れない河口や唐突に現れる街中の古墳。空気はヒンヤリとしていた。

 

ここで確かバタやんだったが今世紀最高のアイデアを出した。「銭湯がある、それからもうすぐ開く中華そば屋に行こう。」

もう余りの素敵さにダーリンと呼びたくなったが控える事とした。

疲れきった野良犬(失礼、適当な表現ではない)のような3人は銭湯へ入湯した。もうこれ以上はないのではないか、人類は朝の8時にお湯の中で人生を過ごすべきではないかと考えた。

隣のバタやんは丁度お湯に溶けてしまって存在しなくなっていた。上田くんも体洗い場ですでにかけ湯と対消滅したようだった。露天風呂、ジェットバスとハシゴをしてしまい僕も自らを見つけ出すのにとても苦労した。

ふと頭の中に大事なバンドメンバーの皆の僕を呼ぶ声が聞こえお湯とはここでお別れをする事にした。ああ、お湯よ。皆待っててくれオレは戻るぞ

 

身体を拭いて休憩室に戻ると両足首から下をマッサージ機に喰われたバタやんが死んでいた。悲鳴をあげそうになった。

とてもいいヤツだった。

 

もとい、姿勢を正した我々3人は正装に着替えて格調高く礼儀正しく中華そば屋へ入室した。

 

ここで僕はAセット大盛り、という暴挙に出てしまい前日の篠原くんのフォロワーとなった。

大量の中華そば、餃子、白ごはん。

愛しい。松本零士の漫画のシーンが浮かびます。凄い量だった。自分を高く見積ってしまった。しかし美味しくいただきました。

そうしてカウンターから離れた僕たちは

歩道の上で途方に暮れてしまった。何も考えずにかなりの距離を歩いていた。

上田君は相変わらずまあ散歩ですから、とブルース調。

ここで突然バタやんが道路に向かって手を挙げタクシーを呼び止めたマジか。

余りに突然だったので運転手もビックリしていた様にみえた。

やってらんないでしょう、無理ですよ!

と幸せの限界を超えてネガティブの域に入ったバタやんのおかげですぐに家に着いた。そのまま僕は皆と集合し家に帰って行った。

 

 

 

 

 

 

2019の終わり

今年は10 年くらいあったような気がしてます。以前も書いたような進捗も全部今年初めた事だし。

とにかくまたバンドで演奏出来て嬉しいです。

 

今年の目標はペアオブのショウ君に正月話した通り「泣かない」

 

生まれて初めて一年の計を達成出来ました。

 

10月14 日 大分 ATHALL

ぜ前日の喧騒は美しく、朝の8時に目が覚めた僕はまだ昨日のままだった。

本日は tepPohseenで大分の演奏。

準備を済ませてmassive君と合流し

団地ファンク妻の西くんも同乗。

ナイスな面子で最新且つ難解でスーパー前衛音楽を聴きながら篠原夫妻と合流。

 

新しい編成で初めての土地に行くのでなんだかとても楽しい。フレッシュ。

ATHALLに到着する前に知らない土地恒例リサイクルショップ探索。特に欲しいものも見つからず、残念なようなほっとしたような気分は相変わらずだ。

 

現地にて今回誘ってくれた形になるPAのウエノくんにご挨拶、すると

「浅田さんにメッセージが...」

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との事で面白いやら良い苦笑いやら。ありがとう。

リハを済ませ、共演してくれるikitAAkashiの大園君と談笑、そのままメンバーと西くんの5人で散策...は2分で終わり居酒屋へ(すみません)。

会場時間にゲットバック

ikitaAAkashiはとても良い演奏で大好きでした。色々な角度から聴ける、ノイズを基調とした純音楽。詳しくは福岡等でも遊びたいと思っていますのでその時また。

The Mighty Project、本来はバンドの形だと思いますがこの日は2人で出演。

普段全く一緒になる事がない雰囲気ではありますが共演してくれてありがとうございます。とても新鮮に聴こえたし、嬉しかった。演奏素敵です。自分では選ばない音楽を聴くという事を楽しむ事も出来るし勉強になります。とかいう事より楽しかった。

で僕ら。

先日演奏中にちょっと悲しめの出来事があり今回はそうならないように気をつけて。とても良い演奏だったと思います

初めて来た場所で半分以上新曲で自分が持っているものに頼らない姿勢はとても嬉しく演奏しました。前の曲は良い意味で忘れてオレに必要な最新の音楽を。

 

初めての場所という事もあり覚悟していましたが思っていたよりも沢山の人が聴いてくれて嬉しかったです。

 

終演後はATHALLで談笑、やっぱり皆音楽家なので特に書かせていただきますが西くんとウエノくんのギターは最高だった。2人のバンドをそれぞれまた見たいですね。皆が個別に一体なんて言ってるのか?

 

どこから書いたものかまず10/13から

福岡のキースフラックでimomushi recordの20周年、沢山の人。出会いと再会。

社長こと前田くんとは22年くらいの縁か。長くなりました。これからも宜しくお願いします。

当時の前田君はBUTCH、僕より活動開始は早くcheese discoに出演させてもらったり。

また突然の誘いで一緒にバンドを始めてハイエースで色々な所に演奏しに行きました。あのpear of the westと新宿に車でライブしに行って滞在5時間、次の日福岡ライブなども大変だけど楽しかったし1000travels of jawaharalと移動し続けた日々。

何よりTIALA(何かが燃えた東洋大学)や

the act we act

と知り合えて本当に嬉しかった。 THE URCHIN、NAVELやminority blues band、thread yarn等お世話になったカッコいいバンドを挙げればキリがない。

三重の寺田君の事も待っています。

当時の僕は今よりもさらに不完全な向こう見ずだったので前田君だけでなく呼んでくれた皆にも申し訳ない迷惑も掛けてしまいました。

envyやthis machine kills、yaphet kott

J mascis and fogとの共演等考えてみればとても良い経験でした。

 

しかしながらそれはもう昔の話だ。

 

気を付けて、僕の背後には老人が立っている。

 

 13日はチルスペースにてBGMを仰せつかっていたが突然のSTRANGE OVER THE SUN出演。

懐かしがらずに今

の演奏が出来ていたのか。

 

演奏を見る事が出来た範囲でどのバンドも凄まじくかっこよかったです。

 

初めて聴いたBUTCH2はとても良かった。初期メンバーのBUTCHもとても面白かったがもう昔の事ですよ。

生きてる限り、とにかく進行している音楽が大好きです。

そんな事を強く感じたimomushiの20周年。おめでとうございます。色々な人の笑顔と前田君の笑顔が見れて嬉しかった。曇る人がいない日を作りたい。

 

 

 

 

最近のまとめ

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1.主力のMacBookpuredataのプログラミングシンセ現在はサンプラー一体型まで。写真は解説書を参考にした段階のもの。

写真のものよりは進んでますが一休み中。何で休んでるんだっけ?

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2.raspberry pi + arduino + puredata

power groveのセンサー部を使ったシンセ?ノイズメーカー。音源はAUTOMATNISMを使用

まだまだ改造の余地ありまくり。

というかパワーグローブで無くてもいいけど成り行きで。

現在はも少しスッキリした外観

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3.

2を作っている時に思いついた遊び。

センサーで取得した数値をサーボモーターに返す事で手の動きを追従するロボットハンド。電源減らしたいのでコード書き直さないと。今この形のマジックハンド売ってないって知ってました?

マジックハンド業界にも流行り廃りがあると知り驚愕、中国から取り寄せた物を使用。ニーハオ

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4.TOSHIBA 型名忘れた。linuxとネットワーク勉強用。

適当に入ったジャンクショップでディスプレイ込み各インターフェースセットで2000円で買ったpc。スペックすら忘れた。買った時は無理なOSが入っていたが持ち帰ると一度起動しただけで死亡。

現在はubuntu16.4、主にラズパイのVNCで使用。(Macでいい)

近々HDDを換装予定。IDEだと助かります。

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4.pc-9801 dx

いつかは欲しいと思っていた98、知識0から突入。FDD死亡、n-88のみの状態で譲りうける。ドライブB復活。MS-DOS3.3Dを読み込み成功。HDDのインターフェースから無いモデル。頑張って内蔵するかもう外付けにするか迷い中。このあたりから動かない物を気にせずに買うようになる。

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5.SONY VAIO

ノートPC。9801の勉強用?に1500円で購入

内蔵FDD復活、MS-DOSでフォーマットしてずっと入れたかったwin3.1をインストール。立ち上がったら満足なので現在はQUICKBASIC用。愛しい。winってコマンドを打ちたかっただけなのかも

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6.TOSHIBA  t3100/20

ジャンクコーナーで発見、走り書きに画面赤くて映りません、起動しませんという表記あり。

一度断念したが調べ物をして何とかなると思い再訪し購入。これも愛しい。

オレンジプラズマディスプレイというものを初めて知りました。恐らくキーボード基盤とCMOSバッテリー死亡。これからどうしようかな。うっすらと音楽関係なくなってる事に気づいた。いつか繋がるけど。

今年やった事で書ける物をまとめ。

今日は誕生日だ。