先日

40才の誕生日を迎えました。大体褒めてくれる人をけなし返すような人格をしているのであまりお祝いされた記憶もなかったけど、0時丁度にケーキが入室して来たので固まってしまいました。慣れてない。しかしながら嬉しいばかりか感慨深さがありました。居合わせてくれた方々、ありがとうございます。お祝いに足る人になりたいと思います。

思うんだけど

長々と無茶な提案と支出と利益を書きましたがシンプルに書き直しました。


以下本題


ハコのチャージ代ってドリンクじゃなくてもいいかなと思います。


500円程チャージがかかるのはハコにも必要だろうし別に良いので違うアイデアが見たいです。


現在飲み物にかかってる原価も減らし(もしくはそれを上限として)、ハコやイベントの告知に繋がるような。いつか出演予定のあるバンドを集めた?CDRとかダウンロードコードとか。面白ければ何でも。

そんなの通用しない日が多いと思うけどたまには。


みんな今まで通りお酒とかの方が良い?


9月16日

先日のgigi 、全員参加の全面戦争のようなソロライブを終え(暴力的な表現ですみません。)

9月16日に気持ちが向いています。

1年前のレコ発間近の時以来です。割礼との共演。


この1年間、色々なところで物凄い体験をさせて頂きました。

早々に感じたのは自らの実力不足。

このままでは行きたいところに行けない事を身をもって知りました。


開き直る事も気にする事も無いような天才型のバカにもなれず、途方に暮れた日を覚えています。


音楽に優劣はありません、しかしながら明らかに存在するのです。


劣っている、足りない、という気持ちを無視して音楽に優劣が無いなんて言えません。今、目の前で展開している輝かしい演奏と同価値のものを自分も出来る、なんて思えません。「共演」というのはただその場にいるだけの事では無いのです。

見合うものが無ければ成り立ちません。

人は人、自分は自分という言葉を便利に使う気になれません。

その言葉は他人以上の事をやっている人が使えば良いと思います。


もっと恥ずかしい思いをして、痛みを知り、練習して、出来ない時は勉強する事。手本や先生等はそこら辺にいくらでもあるのです。

とはいえ、根性論は僕も嫌いですが

しなくてもよい思いや体験を避けれる程音楽が得意ではないのです。


実力のない個性は今の僕に必要ありません。


向上心と探究心を持って9月16日や、これからを過ごしていきます。







さようなら

別段、アウトでもローでもない私立高校生だった。

力は弱いが勢いだけがあり、友達がいる自分と、誰とも共有出来ない音楽観の本心とで何だか自分が2人いるようだった。


当時は他人に合わせまだ珍しい事でスケートボードもして目立つところにピアスを開けて何だかカッコつけていた。おかげで学校の外にも友達が増えたが、なんか違うと思っていた。


当然、お金などないのでCDやレコードを買う為に日雇いのアルバイトをしたりした。

そうするとまた色んな事を教えてくれる人達と知り合った

20歳を超える人達と遊ぶ高校生となり自分で買えないレコードを聴かせてもらったり大変面白かった。


18歳以下でも入れ墨をいれてくれる人も紹介してもらった。


夜に予約を取り付け、前から彫りたいと思っていた文字を用意してその人の家へ向かった。

その人は全身墨だらけだったが特に

腕に入っていた「うる星やつら」の入れ墨が最高だった。


音楽の話をしたり、まだ僕が未成年だったのでなぜ入れ墨をいれたいのか、なぜその言葉なのかよく聞いて、よく考えるように促されたが

話を聞いてくれて墨を入れてくれる事になった。当時はホントにそれ程の事だったのです墨を入れると言う事は。小さいけど。僕の年齢のせいでお互いのリスクもかなりあったし。


学校は通っていたので水泳の授業は全てパスした。他人に見せても良くない事しか起こらない筈だったので出来る限り誰にも内緒でいた。

彫ったその言葉は当時とても僕に影響を及ぼし今も原動力になっているかもしれない。


先日、その彫り師の人が亡くなった。とてもたくさんの人に惜しまれ愛されていたのはきっとそういう人だったのでしょう。


おやすみなさい、あなたの記録は僕の肌に記されています。生涯忘れ得ぬ事よ



遠心力

7月22日、京都に向かった。


前日右半身を痛めてしまい脚と手が痛かったので苦労もあったが

8時10分発の新幹線は割と空いていて過ごし易かった。


移動時間を過ごす為の本を忘れて来たので少し手持ち無沙汰であった。


車内ではDISCHARGEとPINKFLOYDを聴いてたと思う。理由はない。


広島から乗り合わせた隣の席の人は体格の良い中年男性で、何か真剣な面持ちでずっとチョコレートを食べ続けていた。一口サイズが包装されているものを幾つも、幾つも開けては頬張っていた。余りに真剣な面持ちに少し圧倒されもしたが退屈せずに済んだ。僕が京都までずっと食べ続けていたので。


京都に着くとまたしても不自由を楽しむ癖がでた。地図も見らずに適当にスタジオを目指したがもちろん到着する筈もなく困る事を楽しんだ。


とはいえ、気温と湿度がかなり上がって来た上にスタジオを見つけるまで水分を摂らないというどうでもよい自己ルールに少し危険を感じた。


町はお祭りの様で露店や飾り付けが目立っていた。


スタジオにて4人揃って練習。

このスタジオにアームだとか何か色々忘れてきた。どうにかなったけど。生来、忘れ物が多いのです。


歩いて本日のライブ会場である

アヴァンギルドに到着、とても居心地の良いスタイリッシュな空間でメニューにも目が行った。京都に住んでいたのなら大事な時に是非来たいところである。


とまれ、本日共演のバンドのリハを聞けたのでP.Aにも心配も無く、(というか頼った)リハを終えた。


リハが終わり腹ペコだった僕らは

一緒に外で食事を摂った。


主催にして1番目に出演したatuisoは相変わらずとても良かった。

インストであるが随所エモーショナルな展開とプレイを見せ、下手に歌うよりはよっぽど歌であった。

福岡でまた会いたいと思った。


幾つか案内に役立つバンド名が思いついたのですが説明と紹介が苦手なのでやめておきます。


続くHOSOME、以前観た時よりロックよりな印象でしたが良く作り込まれた楽曲とショウは素晴らしかった。アンサンブルが綺麗だと思いました。後で知ったのですがこの日で解散、との事。少しバンドの人達と話しました。多分また会えると思います。


jaibirdY圧巻のステージ、バンドはもちろんですが先述のP.Aの人の音作り?音分け?がとても良かった。

ライブの迫力を保ちながら音源の様に聞き分ける事が出来た。


最後の僕達もアンコールなど頂き無事終了。最近、個人的に得た演奏の感覚を詰めたい。


皆でひとしきり会話を楽しんだあと

大阪の須原さんの家に泊めてもらいました。





leave me alone

これはイケナイ、と思いたち

オレは車に乗り込んだ。


西へ向かうと海岸線があり、奥には水平線が横たわっている。


天気、お日柄も良く砂浜にはまばらに家族達が散らばっていた。


衝動的に飛び出してきたオレは海に入る準備も必要もなかったのでさらに西を目指した。


何がイケナイというのだ。


イケナイ、という事に間違いは無い。1人で考えこんで、気付いたらイライラしていたのでこんな物思いはイケナイ、と思いどうにかしようとした結果だ。1人イライラ発生機。


妙な危機感から何かをせずにはおられず飛び出して来たので海水浴場なんか来たらさらに危機感が増してしまった。リラクゼーションなんか必要ない。大きな海なども要らない。


さらに目指した西には全く何もなかった。滅多にこない、というだけの相変わらずな道だった。


いい加減に県境をまたいでしまい、少しは気分を変える気になった。

まだ聴けなかった数々の音源を聴いていたら少しは気が変わってきた。


楽器が弾きたくなってきた。どうしてオレはこんなところにいるんだ。

今すぐ家に帰りたいがやたら遠くまで来てしまった。


さすがにバカらしくなり、適当だけが加速していった。水産センターに入ったり、観光名所に行ったり、市場に入ったりしてみたがどこも5分とせずに出てきた。


大体が無益なのだ、やってみた事の一割だって成功しない。やってみたが後悔しなかった事はない。やってみたから後悔出来るというだけの事だ。


もう知らない道を知らないところへ向かっていると石仏群という標識が見えた。

家は一応仏教式ではあるが、いわゆる無宗教だ。正月くらいは有難がってやるくらいの事だ。


まだ少し迷い気味で、荒れている事が出来るオレはお試しの気分で初めて自発的に仏像を見る事にした。


オレは文化人気取りの鼻を利かせ道を辿る事にしたが面喰らった。

矢印通り進んだ先は山の上の大きな体育館だったのだ。


たくさんの学生達がバドミントンの試合を終えたところで保護者達と共に帰路につこうとしているところで

確かに坊主に違いない、と思ってしまった。バカにしてやがると感じたオレはまぶたの裏で全員を袈裟斬りに処した。


が、良く見ると体育館の横の小さな山道に矢印の続きがあった。また間違い、早とちりをしてしまったようだ。まぶたの裏に束なる死体に謝罪しお経をあげ、片手で手を合わせておいた。携帯電話をもっていたので。


標識に従い、山道の有り難い階段を降りたり登ったりを数回繰り返したところ、駐車場に出た。


すみません。今度からはこっちに案内して下さい。


とまれ、必要のない苦労をした先で

遂に石仏群に辿りついた。磨崖仏。数種、かなりの数の磨崖仏があり思わす見入ってしまった。


半洞窟状の形をしたその場所は岩の崖が屋根になり、7月であるのに冷気が地面に溜まっており、岩壁から飛び出た雑草や、所々密集しているコケが美しかった。1つ1つの仏像を見ていると何だか不安になり、まじまじと見る事が出来なかったがその半洞窟状になっている場所から脚を退け俯瞰して見ると、溜め息が出るような美しさ、凄まじさを覚えた。

その瞬間、そのたった一瞬だけとはいえ気になっている事、どうにもならない事などすべて忘れた自分に気が付いた。


来てよかった。