The Goldheart Mountainpop

SACOYANSの

今作で2.5枚目の作品となるアルバム。

2.5枚目?テープアルバム?

 

バンドと音楽は常に自らの最新と等身大を目指すべきものであり、なぜこのタイミングで聴く人を、環境を狭めてしまうようなアルバムを作ったのか、わかるようでわからない気持ちでいたがMV「だれでもしっかり見ているよ」の動画、本人によるコメントで理解出来た。

 

「40年前のSACOYANSのつもりで聴いてください。」

 

証拠などどこにもないけど、今までのSACOYANとの会話から本人は口では色々言ってみるが結局、〜風の音楽や懐古的な価値観を好まない。ただ自分を形成した音楽と文化がそれであるだけ。ただ、それであること。

先に上げたコメントの意味は

もしもSACOYANSが40年前にいたら〜という

意味ではなくずっとSACOYANの頭の中に鳴り響いていた自らの音像だったのではないか、と思えるようになった。まだ歌い出す前から、

1人で歌っていた頃から様々な時間を経過する中、突如としてバンドが作られるその1秒前までに頭の中で爆発的に鳴り響いていた音像。

今までのSACOYANの経歴、実力から最高なメンバーが集まり、やりたい事が出来てしまう事の実感と驚き。たった1年でローカルとしては考えられ無いほどの好環境、最高音質での録音とリリースを達成した事への大きな喜びと口には出せない小さな戸惑い。

SACOYANは過程を大事にする。ものすごい速さで洗練されていくバンドとその活動を行う中で一旦は持って行く事が出来なかった重要な事、今は距離的として遠く離れてしまった原初の自分を支えている友人や聴いてくれる人への変わらない自分の証明。一方バンドとして

作る期間がなかった、SACOYANS4人だけの形をしているデモテープの作成。

たりないもの、あり過ぎるものへの訴え

 

本作品はとても聴きにくい。

だけれど捉えやすい。

 

ギザギザでガサガサしてこもっているくせに突如として鼓膜を突破する。頭の中にある音楽はずっと出ていかない。心をかたどって行く。

 

誰でも持っている感覚で誰もが皆、個別に持っている自分の音楽。

 

上がってしまった温度がなんだか下がらない。

作品は聴き終わると始まりにも聴こえる。

最後のJKのコード進行から

そのまま1stを聴くとファンファーレにさえ聞こえる時間軸だけならドラクエ3のような作品。

 

これって0.5枚目。

もしくは郵便局に残った手紙、

やっとアクセスできたメールサーバー。

bandcamp

https://sacoyans.bandcamp.com/album/the-goldheart-mountainpop-3

MV「だれでもしっかり見ているよ」

https://m.youtube.com/watch?si=u5JN9QnftV7eA4XU&v=wNR34TmIzwk&feature=youtu.be

誰でも音楽が出来る話

大体何も出来ない。人が最初から出来る事が誰かよりもよく出来た事もないし人並みに出来たためしがない。

 

音楽に関しての最初の記憶でいえば10才頃だったと思うけどバスの中でマイクを渡されたので

大好きだった曲を歌うとみんなが笑っていた。

楽しそうな笑いではなくてみんなが僕の方をみて笑っていた。なんで笑われているのか全くわからないのできっと困惑していた。困惑という言葉を持っていなかったのでわからないけどきっとそんな表情であったろうなと思います。

合唱コンクールの練習はすごく良い曲でかっこいい!と思い、張り切って歌ったところ隣の人に舌打ちされたが理由がよくわかんなかった。

そうするといつの間にか合唱コンクールのクラスの指揮者に選ばれてしまいこれは大変な事だ

指揮者と言えば音楽に秀いでている人の事だと思って大変誇らしかった。しかしやってみると

やり方もわかんないし誰も俺に話しかけない。

「トライアングルを描いて一回払えばいいよ」

と教えてくれた人がいたのでその様にした。

しかし合唱コンクール当日は緊張してしまい

なんだかトライアングルがタンバリンみたいな図形になって上手く右手が動かない。

体育館の中、全校生徒や教員および保護者達がフロア。ステージ壇上にはクラスメイト。

俺はその全ての間に立っていた。

ステージ最下部で指揮がわからなくなり最前列の子が最小限の身振りで僕を修正してくれるが

客席側に丸見えだ。

 

その日をその後をどの様に過ごしたか全く覚えていない。

 

おまえは音痴だから、とか言われたけど音痴という言葉の意味がわからない。僕はそいつをよく知らないがビートルズブルーハーツが好きだったので音痴というのはお前だろうと思った。

 

中学生になると2度の転校が重なりそんな調子だから学校に行かない時期がありその時に初めてギターを手に入れた。学校にいくなら、という条件で親にかってもらいました。

今までお礼を言っていませんでした。

本当にありがとうございます。

フェルナンデス。そのまま父親が連れて来た人がギターを教えてくれるとなり大変喜びましたが習っているとこれがメジャーコード、マイナーコードはこうです、どうです悲しい音色が

するでしょうと言われても全然わかんない。

一切悲しくなんかなかったし、もっと悲しい事あるだろうそんな事勝手に決めるなと思ってしまったし何よりそのマイナーコードというのは連続していないせいか知らないがとても美しいとしか思えなかった。

 

そうしているとその人ももう来なくなったししょうがない。結局教えてくれる人の言う事が全くわからなかったのでせっかく手に入れたギターはスケール?とかの違いもわかんないからとにかく毎日半フレットずつ上り降りする事とした。

 

高校生にもなると自分でアルバイトをしはじめて好きなだけCDやTAPEを買った。雑誌の片隅に載っているような音楽に強く惹かれました。

 

吹奏楽部に入ったし、これからはもっと音楽できるんだ!

どんな曲もものすごく美しかったが全く吹くことが出来なかった。その通りになっていないらしかったがわかんない。

楽譜の通りやってるつもりがまた皆の視線が俺に集まる。ついにはもう行けないなあという状況になり、なんだかもうどうでもいい。

夜の親不孝通りのクラブに行ってはお酒を飲んで踊って鳴っている音楽も大好きだった。

中学生の時にYMOのライブの放送をみて以来ずっと憧れを持っていたのでサンプラーやなんだかがあれば音楽出来るな!楽器を弾いたり歌ったりすると音痴だとか言って笑われたりするけどこれならスゲーカッコいい!このやり方であればついに聴いてもらえるかも!と思い、本を読んだり店員さんの話を聴きテクノには必須というシーケンサーを手に入れた。その晩に分厚い説明書を読んでいると音源が入っていない事がわかった。

何も鳴らないし随分悲しかったがいつもの事だった。出来事を黙っていれば笑われないだけましだ。

 

もうだいぶよじれていた俺はサンプラーを買い

嫌いな曲やテレビ番組などを切り抜いてコラージュするなどして一本¥300円くらいするテープにダビングして同級生に¥20で販売したり

福岡市内のカッコいいレコードショップの店先に勝手に置いてきたりしていた。

 

いよいよ日雇いアルバイトの生活ではいけないと思い飲食店に勤めようと思いインド料理屋の

時給¥750のバイトを出来る事となったが全く何もわからない。ビールを注文されて入荷したばかりの段ボールから引き抜いて提供した時はみんなが呆れていた。全く冷えてないよね。

1週間程働いている時にキッチン奥のネパール人のコックさんが僕の事を罵っているが

給仕のスリランカ人の女の人が日本語で

「でも彼は頑張っています」と言い返した時は

膝が折れた。だけれどその後8年勤めた。

 

この頃はわからないではいけない、俺だって

楽家だ!と思いギターをうまくならなければいけないという思いでコピーやカバーを志した。どうせやるなら1番好きな曲だと思いPOLVOの曲に挑戦するがどうしても同じ音や運びにならない。後年知る事となったが

変則チューニングとの事だ。

バンドでギターボーカルというものをしていると流石に音程というものの存在が若干わかりはじめやったついに実践出来るか!と声を張り上げると持ち前の喘息が出始めて無理を歌うとまた音が取れなくなる事の連続。多分関係ないはずだけど。

 

数年後、初めて就職をし今までのアルバイト生活から時間的にも金銭的に楽になりました。¥20000くらい?。すごく楽になる。

よく頑張ったし上がった収入記念に新しい事を始めようと思い、リサイクルショップでバイオリンを買いバイオリン教室に通う事としたが月謝が¥18000だったので生活は何も良くならなかった。毎日弾いて、教本もコピーも真っ黒になっていつでも持ち歩いてバカにされる事も笑われる事も流石に間違っている事もわかっているけどしょうがない。やりたいし、わかりたい。先生は合奏してくれるようになって苦笑いはついに5年間とれる事はなかった。その間に音程というものがあってそれを俺がわからないという事も認識出来たし、今でも取れないし大甘だけど大変有意義だった。クラッシックという音楽が名前も扱いも嫌いだけど

とても美しい事を知ったし

(演奏者、愛好家とはわかりあえないと思います。自分が好きな音楽の耳で聴いてます。)

生きて行くにはずいぶん大変で毎日弾くことも

毎週通う事も出来なくなってしまった。

 

それでもバンドと音楽は続きます。それしかやりたい事がない。

 

この日記は続くのだろうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

V.A「MITOHOS」に参加した曲について。

2020年の9月頃、

loolowningen and the far east idiotsから

V.A「MITOHOS」のお話を伺い、参加させて頂く事となった。

https://deaftouch.bandcamp.com/

お誘いの文面はとても誘惑的かつ、エキサイトな言葉が連なっていて僕はドキドキしてしまい丁寧に描かれたそのメールはもはや文章と言うよりも絵画の様にみえてしまってもう途中から斜めに読んだり下から読んだり回転してみたりで

一向、読み進むと言う事がなく、または読んでしまうという事が惜しくてしょうがなかった。

僕が冬の動物であったのならばついに寒い間は口の中に頬張っていたかもしれない。

ともあれどうにか読了し返信、

参加決定。

近年は、僕自身の音楽との付き合い方も変化が出てきて新しい音楽に対して単独の音源、いわゆるアルバムで聴くことが少なくなってきた気がします。

プレイリストを作っていたり、映像込みのものであったり。何かをしながら聴いていたり。

自分が作りたいものを作れば良い、という最終的かつ永遠的な運命に従いそんな事は気にせず多数の曲をつくって収録していれば良いのですがそんな手法もやってみたいよね。連続しない音楽。

加えて何かこうコラージュ音楽の様な面白さ。

サンプル集になるか一つの「音源」になるか?

 

録音の締切り時間は十二分にあるし

出来上がってないけど丁度録音したい曲

もある。スタジオもある。

とても良い状態でした。

 

しかしながら前回の日記のとおり

僕らは1人残らず濃厚接触者、もしくはそれ以上の状態となり

持っている時間の大半を「自粛期間」

に使う事になってしまいました。

ただ、この期間は僕たちが住んでいる地方ではまだ少ない事例だった事もあり、現在社会と音楽活動について前例がない状態で当事者として考え、行動する事となり多くの事を学びました。

話をしてくれたたくさんの人達に感謝を。

そうした事情の中、〆切を8日間オーバーし、「シーケンスが見る夢」を完成しました。

 

タイトルについては...完全に作りたいと思った曲のイメージだけです。杏理さんがつけてくれた歌詞とは多分剥離してるかも。

「進むべき未来」みたいな意味合いかもしれないけどもう少し違う類のSFにしたいと思いました。

サイエンス・フィクション。音楽ではあんま聞かない単語かなー、とか。

 

前述の通り、身の回りの環境が大変

厳しかった事もあり逆境、と一言

では済まされない中、作りたかった曲は

停止しない事、奪わせない事。

怒りに言動や音量、スピードをコントロールさせない事。

 

単語や擬音を使わずに曲間から頭をもたげだした大きな鳥は黄昏れの世界を想像力の翼を広げて飛んでいったのでフェードアウトにしました。多分またライブやスタジオでフェードインしてきます。

 

ちょっとバラバラだし、わけわかんない文章だけど。もうこれ以上は時間だけがかかるしきっと最後まで正確には書いてしまえないので投稿します。

 

他のバンドの収録曲も、一つずつ感想を伝えたい程どれも良いです。

是非。

 

9/21の事について。

まず初めに、今回の事で把握も出来ない程の多数の方に多大なご迷惑をお掛けした事に心よりお詫びを申し上げます。

 

また、当日より一ヶ月以上も経過するなか、現在まで報告や反省、再発防止の為の対策が表明されていない事に重ねてお詫び申し上げます。

 

以下、出来る限りわかりやすく端的にまとめさせて頂きました。

 

・出来事

9/21、cafe and bar gigi にて行われた「ORANGE JUICE vol.2」というライブイベントで新型コロナウィルスのクラスター(感染者集団)

発生がありました。一部報道では感染者の数は7人、8人とも言われましたが、実際はそれよりも多くの陽性者がいたのではないかと推測しています。私はそのイベントに私が主となるバンド、tepPohseenで演奏者として参加していました。

・経緯

前月、主催よりイベント内容の説明と共に演奏の要請を受け、新型コロナウィルス感染対策の有無と何か考えがあるという事を簡単にだけ確認した私は予定を合わせ、出演を承諾致しました。

以降、当日まで連絡は取らず私はタイムスケジュール等の事前確認を怠りました。

リハーサル時では換気の実施と体温計、消毒液など簡単な備品はありましたがどのような使い方でどのように徹底されるかの確認を怠りました。

 

・イベント開催時の状況

こちらに関しては当日来場していた藤田進也氏のTwitterアカウントにて手記があり、私よりも正確に現場を把握しているので恐れ入りますが参照をお願いします。引用に関して、ご本人の許可を得ています。

https://twitter.com/fuji_s/status/1316320958274174978?s=21

 

・原因

当日以来に初めて、10/19に対面して判明した事でもありますが

主催者の新型コロナウィルスに対しての考えが大きな原因だと考えます。「新型コロナウィルスはこれから社会に浸透していくもの、いつかは感染するものであり、そういうものの為に社会的な活動を停止する必要はない」という考えであった事。平素からほぼ無対策で生活している事。また、現在コロナ禍と言われる社会において、その姿勢で開催するにも関わらず、その事を明示せずに各出演者に出演依頼をし、集客を行った事。

当日簡単な装備は用意しつつも重要視せず、感染症への対策がほとんどなされていなかった事です。

 

以下、私自身の原因と反省点です。

 

私個人として、経緯の内容で表しましたように事前に確認する事で、開催を止める、出演を辞退する、または当日になっても中止を求める事が出来たのではないか、と深く反省しております。当然対策がなされている、との思い込みがありました。

また平素からあまり主催者や共演者同士のコンタクトや会話をしない私は、(しかしながら、この日は紹介したいと言われ拒絶せず、共演者や主催者のいる飲食店に同行しています...)この社会状況であるにも関わらずいつも通りの態度で臨んでしまい、この事態を引き起こす、看過する一因ともなりました。

今回コロナ禍におけるイベント出演に対してイベントの意図をよく確認する事、

当日に関しましても事前に新型コロナウィルス感染対策に関し、共演者含めミーティングを提案する等よく意思の疎通をする事が必要だったと反省しています。

緊急事態宣言も明け、少しずつの緩和が私自身の気の緩み、警戒心の緩みを生みました。この事を強く受け止め、自覚し、二度と同じ事を繰り返さないよう反省して参ります。

誠に申し訳ございません。

 

人の思想は自由ですが、 

主催者にはその思想が今回コロナ禍のもとにおいて、それを明示せずに開催する事、それがどのような事態を引き起こすか、今現在では関係すらしていなかったはずの方たちが大きな犠牲を支払い続けている事を説明し理解して頂きました。

また主催者自身も当日21日から状況が変わるにつれ、自分の考えと現実の整合性が取れていない事に自覚し、怯えながらも認める事が出来ずにいるSNSへの投稿や言動が続いており10/19に対面した時には

憔悴している印象がありました。

思いつく限りの言葉を伝えた後に、

反省した主催者本人からSNSの使用を差し控える事と音楽活動はしばらく控える事、自らが引き起こした事態だと認め、関係した皆様や不本意ながら関係させられる事となった皆様に深くお詫びをしておりました。

このような事を2度と繰り返さないだろうと思います。

 

最後に、私が参加を決めたイベントにより、大変なご迷惑をお掛けする事となったにも関わらず、停滞した私を勇気付け、前進のために支え続けてくれた多くの友人達やメンバーに感謝をします。

 

そして本当に申し訳ございません。

同じ事がないよう、必ず進歩します。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

RE:神戸ヘラバラウンジ

という前回の記憶から必ず戻らなければ

(進まなければ)ならない場所となった神戸というかヘラバラウンジ。

 

今回連絡をくれたのはスタッフのバタやん。本当にありがとう、本当にありがとうございますと、出演快諾の返信を出した後に二度唇に言葉を重ねた。

 

新しい曲等もライブで演奏しだして馴染み始めていたので楽しみしかない。

 

今回は今までやってなかったL.Oを聴いてもらいたいな、という人がいたので練習したのですが、たった一回の練習で出来てしまったのです。すごいねみんな。

そんな中、広島在住の丸山くんから連絡があり2年ぶり?の参加が決定。かねてからの願いがいきなり整った。3ギター。マジか。

 

当日朝7時福岡市の天神にて集合し車でゴー。

バンドワゴンなんて何年ぶりか。

やはり車内ではどうでもよいような容易い話などしたりで壁にへばり付くような感じでワゴンは地図を北上していった。

途中、ドラムの篠原くんが生涯でこんなに朝ご飯食べたの初めて、と言った一言が印象に残った。

到着時間が確定しだした頃には現地到着済みの丸山君からどのスタジオも空いてませんのお知らせ。

 

そうなんですわかってました。わかっていたのに(わかってないから)何も対策せずにいたし、到着時間も曖昧なままだった。当然の結果が目の前にあるだけ。

 

「しょうがないけどこれで演奏に集中出来るね。」

となんだか納得してしまいそうな、真逆の事を皆の顔も見ずに言ってしまった。

 

ヘラバラウンジに全員到着後リハへ。

前回の事もありスタッフの方に必要以上に弱腰で接してしまった僕のバカ。

しかしやはり問題無さそう。

バーカンの人まで覚えていてくれたので嬉しかった。というかそれだけの事をやってしまったので複雑だけど。

その後少し散策。全員で空前絶後の素敵な餃子屋さんに入り談笑。ああ丸山君よ。杏理さんが今日は楽しい気がする、と言っていたので勇気が湧いた。

 

1番目はいかんせん花おこし、ライブは初めてだったけどCDはよく聴いていたのでとても嬉しかった。歌もの、とかそういう区分良くない。一口で言ってしまえない。何か前衛的な要素や、人と時間と居場所の距離感。音源のスティールギターがない状態もとても良かった。

無論音源のスティールギターは最高だ。

ないものがあってあったものがなくなって。その過程が演奏で聴こえてきたような。好きな演奏だからって話かけたりするのは僕の悪い癖だな。感動したらそれで良いじゃないか。

 

続いてacid clank、前もって音源聴いていたが本日はバンド編成?という形なのか。

最初の印象よりカタチのある演奏で色々なところに楽曲への気遣いや聴いてもらい方?それと気持ちとメロディの兼ね合いがとても素晴らしかった。勉強になります。違う形態だとどうなるのか。

 

村岡充(of Test Pattern)

岡山の音楽家、以前福岡でテストパターンを見ていたのでとても楽しみにしていました、もうとても素敵でした。1人でどうするのか全くわからなかった。

フォークと音響が混ざりあい広がっていく様は聴覚的どころか視覚的にも色が付いて揺れる印象。ディレイで脚色されたリズムとテンポは好きな所を選んで好きな速さと拍で聴けます。

最後の曲はいかんせん花おこしのドラム北畠氏。バタやんの事だが演奏してる時は敬意をもって。

 

あんまり聴いた音楽の感想を勝手に書いたりするの良くないな、と思っているのですがなんとなく。

すみません。その日の出来事を敢えてとばすのも不自然かと思い。

続く僕ら5人はたくさんの嬉しい皆様のおかげで全5曲演奏。ホントに嬉しかった。最高のメンバーだ。皆でヘラバラウンジで夜中まで遊んでもらった。前回のように木村さんと長く話せなかったのが心残りだ。

途中、居酒屋等を経てそろそろという時に断固としてoopnumの上田君が僕とマッシブを連れて帰ってくれたのでそのまま眠りの地へ入国。

三時間後、不意に目を覚ました僕は自分の家なのに寝るところがない上田君と目が合った。結局たくさんの人が上田くんの家に来ていた。

「じゃあ行きましょうか」と言われたオレは訝しげな顔をしていたかもしれない。散歩ですよ、とブルース調に重ねてきたのでオレはその通り靴を履いた。背後にはいつの間にかバタやんがいて「散歩と聞こえて」と一緒に扉を出た。

男3人、朝の7時。ピチカートファイブの曲にそんなタイトルあったような気がする。

やはり六甲道も坂の街の印象で何も知らないオレは新鮮で楽しかった。

 

上田君はオレの年齢も知らないのに厄年でしょ?と言ってきたのでそのまま神社に入りここで落とせるものは落とした。

と思う。

 

今度は神戸製鉄所に向けて歩くと夜勤を終えた人たちとすれ違う。巨大な煙突は

街のどこからでも見えそうで雄大だ。

バタやんは煙突について、もっとカッコいい筈だった。と煙突と昔の同級生だったように煙突をなじっていて面白かった。

流れない河口や唐突に現れる街中の古墳。空気はヒンヤリとしていた。

 

ここで確かバタやんだったが今世紀最高のアイデアを出した。「銭湯がある、それからもうすぐ開く中華そば屋に行こう。」

もう余りの素敵さにダーリンと呼びたくなったが控える事とした。

疲れきった野良犬(失礼、適当な表現ではない)のような3人は銭湯へ入湯した。もうこれ以上はないのではないか、人類は朝の8時にお湯の中で人生を過ごすべきではないかと考えた。

隣のバタやんは丁度お湯に溶けてしまって存在しなくなっていた。上田くんも体洗い場ですでにかけ湯と対消滅したようだった。露天風呂、ジェットバスとハシゴをしてしまい僕も自らを見つけ出すのにとても苦労した。

ふと頭の中に大事なバンドメンバーの皆の僕を呼ぶ声が聞こえお湯とはここでお別れをする事にした。ああ、お湯よ。皆待っててくれオレは戻るぞ

 

身体を拭いて休憩室に戻ると両足首から下をマッサージ機に喰われたバタやんが死んでいた。悲鳴をあげそうになった。

とてもいいヤツだった。

 

もとい、姿勢を正した我々3人は正装に着替えて格調高く礼儀正しく中華そば屋へ入室した。

 

ここで僕はAセット大盛り、という暴挙に出てしまい前日の篠原くんのフォロワーとなった。

大量の中華そば、餃子、白ごはん。

愛しい。松本零士の漫画のシーンが浮かびます。凄い量だった。自分を高く見積ってしまった。しかし美味しくいただきました。

そうしてカウンターから離れた僕たちは

歩道の上で途方に暮れてしまった。何も考えずにかなりの距離を歩いていた。

上田君は相変わらずまあ散歩ですから、とブルース調。

ここで突然バタやんが道路に向かって手を挙げタクシーを呼び止めたマジか。

余りに突然だったので運転手もビックリしていた様にみえた。

やってらんないでしょう、無理ですよ!

と幸せの限界を超えてネガティブの域に入ったバタやんのおかげですぐに家に着いた。そのまま僕は皆と集合し家に帰って行った。

 

 

 

 

 

 

2019の終わり

今年は10 年くらいあったような気がしてます。以前も書いたような進捗も全部今年初めた事だし。

とにかくまたバンドで演奏出来て嬉しいです。

 

今年の目標はペアオブのショウ君に正月話した通り「泣かない」

 

生まれて初めて一年の計を達成出来ました。

 

10月14 日 大分 ATHALL

ぜ前日の喧騒は美しく、朝の8時に目が覚めた僕はまだ昨日のままだった。

本日は tepPohseenで大分の演奏。

準備を済ませてmassive君と合流し

団地ファンク妻の西くんも同乗。

ナイスな面子で最新且つ難解でスーパー前衛音楽を聴きながら篠原夫妻と合流。

 

新しい編成で初めての土地に行くのでなんだかとても楽しい。フレッシュ。

ATHALLに到着する前に知らない土地恒例リサイクルショップ探索。特に欲しいものも見つからず、残念なようなほっとしたような気分は相変わらずだ。

 

現地にて今回誘ってくれた形になるPAのウエノくんにご挨拶、すると

「浅田さんにメッセージが...」

f:id:tepPohseen:20191105232324j:image

との事で面白いやら良い苦笑いやら。ありがとう。

リハを済ませ、共演してくれるikitAAkashiの大園君と談笑、そのままメンバーと西くんの5人で散策...は2分で終わり居酒屋へ(すみません)。

会場時間にゲットバック

ikitaAAkashiはとても良い演奏で大好きでした。色々な角度から聴ける、ノイズを基調とした純音楽。詳しくは福岡等でも遊びたいと思っていますのでその時また。

The Mighty Project、本来はバンドの形だと思いますがこの日は2人で出演。

普段全く一緒になる事がない雰囲気ではありますが共演してくれてありがとうございます。とても新鮮に聴こえたし、嬉しかった。演奏素敵です。自分では選ばない音楽を聴くという事を楽しむ事も出来るし勉強になります。とかいう事より楽しかった。

で僕ら。

先日演奏中にちょっと悲しめの出来事があり今回はそうならないように気をつけて。とても良い演奏だったと思います

初めて来た場所で半分以上新曲で自分が持っているものに頼らない姿勢はとても嬉しく演奏しました。前の曲は良い意味で忘れてオレに必要な最新の音楽を。

 

初めての場所という事もあり覚悟していましたが思っていたよりも沢山の人が聴いてくれて嬉しかったです。

 

終演後はATHALLで談笑、やっぱり皆音楽家なので特に書かせていただきますが西くんとウエノくんのギターは最高だった。2人のバンドをそれぞれまた見たいですね。皆が個別に一体なんて言ってるのか?