過去から来た未来

またちょっと昔の話から始まるのでなんだか苦手な「懐かしがってる」とかそういう印象にならないように気をつけて書きたいです。

 

その時はなんかずっとリアリティはなかったですねー。遠い世界の音楽の様に聴こえてて、なんだろ。海外とかよりもよっぽど遠くに感じてました。

 

その周辺の音楽は持ってる数が少ないながらも繰り返して聴いてる感じ。ホントは沢山種類があったんだけど通販は苦手だしお金もないし。持ってるものを聴きながら、勝手にこうだろうか、ああだろうかと想像したり。

それできっと僕の中で何だか形のない何か巨大なものになってしまって

よくわからない音楽。

 

一度1人でそれが何なのか確認しに行ったが、何も調べずに行ったので当然の空振り。

 

そんな事はすっかり忘れて、いっぱしにアマチュアバンドの体でライブだのなんだのしてすごく調子に乗ってる時ですね。突然の出現。

 

見汐に突然言われたのは確か

大阪にいった埋火の福岡でのイベントだったと思うのですが、

 

「こちら、ギューンカセットの須原さん」

 

信用しなかったです。そんなバカなと思いました。実在すると思ってなかったので。しかしながら目の前に在る。記憶に遠い、クッキーシーンの創刊号の行間から現れ、CDの隅っこのファズフェイスが目の前に人として在る。

誇張はいけないので書いておくと、僕は正式にはギューンカセットのCDはもっていなかったので飛びついて噛み付くような勢いもあったがつまづくような感覚もあった。

 

完全に面喰らってしまいました。

友達の知る僕の通り、当時は今より口も態度も考えも年収も何から何まで悪かったのですがその分正直で、変な挨拶をした。

 

「はじめまして、最初にこれからと今からの全部のお礼を言っておきます僕はいわゆる関西、大阪の楽家に物凄く影響を受けていてその世界を支え、紹介し続けたギューンカセットにとても大きな思い入れがあります。が、ギューンカセットから音源を通販した事はありません。そして関西のこれからも紹介し続けてくれると思いますのでその事について本当にありがとうございます。」

 

というような滅茶苦茶な挨拶を前傾姿勢で行ったと思います。一気に思いつくまま。

 

後年になって本人に確認してみたところ

「いや、君は焼酎瓶持ってきて呑みますよね?っていきなり挑戦的な態度だったよ」

と言われたので真実は時空の彼方に消えて、今頃はどこか知らない宇宙の星となっている事でしょう。

 

とまれ、その席では僕はいつか殺害塩化ビニールから物凄くキレイな作品を出したいです、等と聞かれてもいない、どの方向に向かっても失礼な発言を繰り返していたような、、

本心でもあったけど。

 

何というか、いくら好きだからと言って目の前の人の大きな傘の下に入ろうとしない。もしくは入りたがらないようにしようという意識はあったんかな、、、

好きだし偉大だとわかっているので何かもうへりくだりたくないんですね。尊敬してても態度に出さない。

そう、全部こっちの理由。もうホントオレ迷惑な奴。不愉快マシーン。

 

この場を借りて...使って謝罪。

すみません。ちゃんと反省してますし、損もしてます。近年改まっています。改心しました。

 

話が逆方向なので。

 

本当は須原さんに関西の事やギューンカセット周辺の事を根掘り葉堀り聴きたい事だらけだったが、こっちは反抗と抵抗と弱さの固まりだしベースプレイヤーとしての須原さんの方にも参ってしまった。知りたい事はとりあえず音楽で出版されてるんだからそれを聴けば良い。

楽家の音楽以外の事知ってどうすんの?と思うようになりました。

 

それでも知った、

当時皆も知るギューンカセットの大変売れてしまったヒット作は全部手作業でダビング。間に合わないからダブルカセットデッキを5.6台?買ってきて休みなく四倍速ダビングしたという狂った話はとても面白かった。興奮した。

 

それから幾度か共演をし、他愛もない話を聞いたりうーん、、何だっけ?

持っている大好きなレコードをただ目の前にあるという理由だけでまた買ってしまう話とかー

時間がない時は違う音源を同時に試聴してしまう話とか、、、聞いたような。あとアニメ。

 

面白いエピソードや、歴史はもっと身近な人や媒体に任せるとして。

 

とても人の良い、その裏側はかなり変わった人だ。話していると何かこう、生きているという事を実感します。何の事かわかんないけど。

 

年月を重ね、2016年にtepPohseenの1st

を出してもらった時の感動はずっと僕の大事です。何しろ10代の時から存在がとても好きだけど正体がよくわからないレーベル。初めて言いますが確実に僕のルーツです。誰がいるかも、もうなんか何が出て来るのかわかんないところから自分達まで出てしもらった。ホントにわからないレーベル。

多分、自主レーベルとかインディーズレーベルとかいう言葉の先頭だと思います。正確には違うと思うけどホントにその印象。

 

当時

失礼ながら最弱、最小単位の規模と流通で大手レコードが出さないような最高のアーティストやその音源を

発表するというカッコの良さはステージには無い、音楽の1つのカッコ良さだ。みんな自主レーベルにステータスを見出した。少なくとも僕はそうだ。弱くて強い、汚いけど美しいというような類の。

 

20年活動してたのに現代のまともなリリースをしたことが無かったので

沢山の相談に乗ってもらいレコ発のような事を重ねた時は世界が一変しました。嘘がホントになり、急に色々なものが開いた。何かにも書いたけど僕はその日に生まれたような気分でさえあった。

 

誰でも知る通り、何をしたから、何処から出したからスゴイ、という事は全くありません。周りがエライから自分もエライなんて事もありません。余計に自分の小ささを思い知るだけの事です。

人のおかげでただその場にいるなんて僕には耐えられません。

 

以来、余計に真剣に音楽をするようになりました。必死過ぎて色々見えなくなり僕の人格もあって今でもよく失敗するのですが、そんな事どうだって宜しい。

 

誰でも何でも、真剣にやっています。どんな形でも。どんなやり方でも態度でも。やってなくても。

 

とにかく音源を出す事で色々教えてもらい、黄金の体験をしました。

その大きな傘にも結局入れてもらってしまって色々面倒と迷惑を重ねてしまいましたが...

 

ある程度の時期が過ぎると流石に色々落ち着いて、連絡を取ることも減りはじめ、これは次の何かに進まなければいけないという事かなあと思い、

 

ソロを始めるとやりたい事に対して何が足りなくて、何が出来てなくてと再確認。

 

バカになりきれる程賢くも無く

カッコつける程の中身も無い

やりたくない事をやる程の忍耐も無い

 

僕でさえ自分を見つめ直したりします。でもやっぱり見えないからもうとにかく進むしかないなあと思い、

色々な人の助けもあり作りたかった音源の制作を始めたり。

 

何故か、何故だか録音は上手くいってしまい何かよくわかんないとても妙な良いものが出来ました。

 

オレのソロは流石に興味ないだろうなと思っていたところ、

「出来上がったら聞かしてな」と言われたので、断られた時のショックを少なくする為に「出してもらえるんですか?」と軽い感じで聞いてみたら「出そか」と言われたので冷静に興奮した。

ホントに読めない、わからないレーベルだ。

 

大変な気持ちになった。

大変な事になった。もうホントに他にやりたい事など何もない、決定的に人生と音楽とその活動が離れなくなりました。

誤解を恐れずに言えばギューンカセットに関しては何も知らないけど、何も知らないから、須原さんとは違う意味で、違う角度で須原さんよりギューンカセットを愛してるかもしれない。絶対言い過ぎだけど。

 

tepPohseenの時も、今回のソロ作「code」についても

須原さんから直接感想をもらった事はありません。今ではたまに一緒に演奏してくれたり。

 

ホントによくわからない最高のレーベルからリリースします。10月15日。

最初に会った時に未来の分の御礼を言っておいてよかった。