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赤橙夜想曲

縁があり、異国で3日間を演奏する事になった僕達6人は空港に集合した。

しっかり表現すると集合する約束はした。


その時の僕は小さなクセに大らかで

1時間遅れてしまい、大変に怒られたが間に合ったので良かった。


当時は国交もあやふやで日本の文化の紹介をマイルドに禁止しているような国に飛び降りたのである。何だか行ってはいけないところに着いたようで大変にエキゾチックだった。


エキゾチックといえば少し亜熱帯を想像するけど寒かった。でもエキゾチックだったのです。


空港の荷物受け取りの際、ベルトコンベアーに傾斜がついていて僕の楽器が50センチくらいロケットの要領で飛んでいくのを眺めた。今でも空港を利用すると思い出す記憶です。


首都に到着すると現地の日本人オーガナイザーに案内されて、1日目の会場へ向かった。

道中、舗装の乱れた道路や足のないホームレス?の露店商、山と積まれ、下の方が腐ったほうれん草などがあり、大変興味深かった。

確か、いくつかの屋台に入り早速酒を飲み始めた気がする。

大林宣彦的な表現だが、あの頃の我が胃袋を想うととても頼もしく、抱き締めてやりたいくらいである。


他にも数バンド、日本から来ていてその日は演奏もするが前夜祭の様な雰囲気。

何だか会場中が赤かった。某アングラ有名ドラマーのショウも楽しかった。ここで友人が現れた。


現地在住のこのアメリカ人2人はとても良いヤツで観光ビザで暮らしているもんだから切り替えの為にたまに日本に来て遊んで行くのである。


この、アジアに妙な敬意を捧げる(時々いますよね?祖国文化への反感からか、漢字の入れ墨を入れたり、和服を着て過ごす類の。)ナイスなアメ公達は自宅が近くだと言い、一度帰っては手料理を作り持って来て振舞ってくれた。1日目はつつがなく終了し、適当なビジネスホテルで眠る事が出来た。と思う、、忘れた。


2日目、日本から一緒にきた6人は昼は観光を楽しみ、人種としては嫌われていた様だが仕方ない様に?歓待してくれる屋台の人やお店で楽しんだ。この頃には多少必要な言語も覚え使っていたと思う。


というかどこに行っても、「ありがとう」が言えれば大丈夫だと思う。

そんな事ないけど。


2日目(もしかしたら3日目の事)はとても大きなクラブでリハが終わった段階で周囲に人も増えていて熱狂的な期待をさせるに充分であった。

驚きであったのだけれどそのクラブは土足禁止のフローリング。何と床暖房になっていたのでこの初冬の北緯37度にあるこの街でも充分に暖かかった。少しタイムスケジュールがタイトに出来ていたが、与えられた時間がある以上、引き締まった思いでビールを飲んでいた。(スミマセン)


ここで別にやって来た日本人出演者がやらかしたのである。

だらだらとした即興風演奏だけならまだしもその結果に納得行かなかったのか二階に駆け上がり、一階へ飛び降りたのだった。


日本でコイツのステージは見た事あるがこの時も脚立に全裸で座って最後を迎えていた。僕は音楽代表でも何でもないので、好みでいうが大変嫌いだ。


とにかく当然の様にイベントは中断し救急車が呼ばれ、そいつは大腿骨だか何だかを骨折していた。後日の事だが、座った姿勢で帰れないので帰りの飛行機の僕らのチケットまで要請してきた。もちろん断った。


これで僕らの演奏が中止になろうものなら追いかけていってトドメをくれてやるところであったが主催者の努力のおかげで予定通りの演奏時間は保てた。


もうとっくに時効なので現在はどうとも思ってないが大変ですよね、バカって。どんなに衝動的であれ、2階から飛び降りなくても気が済む様に音楽やってるんじゃないのか?と思いました。まあいいや。あ、あと前もってわかる事が出来る様なバカな理由で演奏をキャンセル出来るヤツも嫌いです。まあいいか。


この日の夜は前述のナイスなアメ公2人が是非みんな、うちに遊びに来てくれというが、異国情緒をしっかりと楽しみたいところもあったので、感謝も交え、その間を取り、僕だけ別行動で遊びに行った、、、ところが、、


前から少しわかっていたが少しヒッピー癖があり、遊びに行った部屋は綺麗だけど、(多分その場にいた女の子の家だろ、あれは)かなりグルーピーであった。

女の人達は大学生で、何にでも興味津々で聡明な感じもあった。

話したりして楽しかった。

この日は夜にも関わらず、その子達にひっきりなしに電話がかかって来たし電話を変わられた。日本人、というだけの事なのですが中には日本語を勉強しているので試したい、というだけの人もあったがとても上手で5分程は無理も無く会話出来た。

何というか皆物凄いエネルギーだった。

僕なんかは自分の出生だけで珍しがられチヤホヤされた格好で悔しいだけだった。何と無くその日の自分の役割はわかっていたのでその様にした。色々あってとても楽しかったが、皆を連れて来なくてよかった。


3日目(2日目かもしれない)はその新しい友達達と昼食をとり、また、文化的興味心の的となりかけたがもうリハーサルの時間が近付いていた。場所を告げ、道を訪ねるとわからないと言う。かなりヤバイ事だとわかり、何とか場所を探しだし時間がなかったので原付の2人乗りで会場に向かってもらった。異国情緒も何もない、高らかな太陽の下で赤信号?と歩道を駆使して会場入りした。


到着してみると何か不相応な随分立派なライブハウスで、PAマイケル・ジャクソンの様な話し方で面白かった。リハーサルが終わると外にかなりの列が出来ていた。3日間のクライマックスが迫って来ていた。会場はもういっぱいである。

このツアーのtepPohseenは共演のアクシデンツからドラムスに清水君とベースに純子を擁した4人編成、この日は一曲15分の「常緑樹」だけを演奏した。全部を使い、物凄い演奏だったといえる。会場は湧き上がって外に出るのも一苦労で沢山の人達が付いてきてくれて握手だのサインだのをした。

音源も沢山もらった。


しかし1番のクライマックスはこの後だった。やっと現地ミュージシャン達と交流を持てる日になり、一緒に打ち上げに向かった。途中、衝動に駆られたのか感傷的になっていたのか、それとも僕達全員の気持ちを代弁しようとしたのか、

キレてしまった純子が無関係の「走っている」タクシーに現地の言葉で「ありがとうございます!」と叫びながら飛び蹴りをしてしまった。

走り去っていくタクシーに僕達はビックリもしたが大笑いもした。


あれ程英雄的な飛び蹴りは見た事無かったし、今も無い。


純子はその後、5メートルはあるかという様な風船の看板も倒してしまった。


店に入るともうみんな面白過ぎて、色々聞かれたし、こっちも色々聞いた。全てが同じ価値観の異文化の交流だった。現地の酒は我々が普段飲むよりもアルコールが薄く、我々は潰れずに飲み続けた。話相手は一旦潰れていくのだが、幾度と無く蘇ってきた。もうすぐ現地音楽界隈のボスが来ます、という事で待っていると、とてもナイスな人であったがやはり30分程で潰れた。みんな笑っていた。ボス、というよりも皆に愛されてる人なんだなと思った。


別テーブルが爆発した様な騒ぎになっていたので行ってみるとやはり中心は純子だった。

休業中の向かいにある店の生け簀から手掴みで海老を取って来て、自分のテーブルの鉄板で焼いていた。皆に拝まれていた。


そのまま2次会に行くと登ったのか降りたのかよくわからない店で食べた事もない様な美味しい鍋を食べさせてもらった。

その後、どこに泊まってどうやって帰ったのかは覚えていない。