角度を変えて四部屋の12.2

ついに当日。5月にtepPohseenで共演して頂き、半年以上を準備にあてたこの日。


SOLMANIA 福岡ライブ


午前。

前日の日記から性懲りもなくまた同じ銭湯へ向かった。繰り返すつもりもなく、俺はまた銭湯に向かわなければ行けないと思った。


なぜなのか?浴槽に黄金の金塊でも埋まっているとでもいうのか?

何が俺を呼ぶのか


セーブポイントからコンテニューするようなものか?わからないでいたがとにかく意気込んで入場してみると男湯と女湯が昨日と逆転していた。


昨日と同じ場所に行けない。なんだか拍子抜けしてしまった。


普通に暖をとり帰宅。弦を張り替え13時から3時間の四部屋の練習の為、機材を載せてスタジオへ向かった。


練習途中に抜け出して大野さんとカツミさんに再会した時は感動した。嬉しかった。


練習が終わったので駐車場で何とか牡蠣を焼こうと皆に提案したが誰も賛同しなかった。

絶対怒られるからやめとけと言われてしまった。当たり前じゃないか、迷惑なんか誰にも掛けたくない、本気じゃなかったそんな事わかってるよ、ただなんとなくちょっと言ってみただけだろう?


本日の出演者、皆素晴らしく感動的であったし何よりもイベントを通して連帯感などまるで感じさせないところもとても良かった。一人一人、確固たるものであった。


個々の演奏の度に時間をロックしたかった。このまま時間に動いて欲しく無かった。


ホントは動かしたい時間もあった。


ローカルな話だが去年からライブ予定を入れにくくなっていた宇都さんが活動的でないのが嫌だ。

もちろんやりたい事があって、自分の為にも十数年眠っていた四部屋を叩き起こしたのだけれど。


樺島、山内くん、TAMAが加入し4ヶ月でなんとか8曲12.3分程のライブの用意が出来た。中々予定が合わない中、わりと展開の多い曲を皆の詰め込むさまは目を見張るものがありました。


宇都さんは最後のスタジオまで新曲を持って来たしブレイクを変えたりで面白かった。


イベントが始まり、少し離れたところを歩いてたらTAMAが誰にも邪魔されないように直前練習の録音を聴いているのを見かけた。


とにかく色々な時間が動いているようでした。


どのライブも良かったし細かい感想は苦手なので書けません。


ライブが終わり、するはずのなかった打ち上げへ。四部屋のみんなと席は離れてしまいましたがとても刺激的な数ヶ月でした。また何とか一緒に演奏をしましょう。


そしていい加減角度を正して。


Natural.Anarchy.Orgazm

SNOPPY

オクムラユウスケ&NOT SPORTS

D-FLOOR+諸富栄二

倉地久美夫

LSE

DJ-asm5gd

      massie

皆さん長丁場のイベントにすみませんありがとうございます。


この中のどこにも1人も僕は仲良い人はいません。何度も言ってますが絶対無くそうと思っていた連帯感もしっかりと無く、1つ1つが1つのまだ高くなろうとする山の頂上だと思います。


僕は個人的に反省点が多々あるので正して行きたいと思います。


今回1番労力を背負わせてしまったライブハウス、ユーテロにはしっかりとした感謝を。無茶を連続させてもらいました。1ドリンクを無くすなど。反省してやめるのではなく、工夫してまた別のやり方でやろうと思っています。また、ずっとお酒を飲んでいて申し訳なかったが心に余裕が無かった。


そしてSOLMANIA、大野さんカツミさん大阪の時も含めて演奏をありがとうございました。もう20年前くらいから好きでしたが関係なかったです。現在の最新のSOLMANIAが改めて好きです。

書かなくて良い事だとわかっていながら(わかってないから)書きますが本心かしらん大野さんにギターを褒めてもらった時は言葉も出なかった。


関わってくれた皆さんありがとう。


縁があり、最近色々な方達と共演出来て、福岡に来てもらったりしていますが別にありもしない名誉を手に入れたりお友達作りをしたいわけではありません。


ちゃんと知りたいんです、皆が個別に一体何て言ってるのか


話が覆りますがもう4時過ぎまで遊んでくれたSOLMANIA大野さんカツミさんありがとうございました。


旅館まで2人を送り、

自分の車のトランクを開けたら

ホントは今日牡蠣を焼いたら絶対みんな喜ぶと思ってはりきって持って来ていた七輪と炭が恨めしそうに乗っていた。

僕は何だか練炭自殺志願者の様な備品の中、車の中に潜り込んだ。


隅々までいかんせん花おこしを聴きながら眠りについた。












12月

大阪から帰ってきた俺は未来など何もない。


たまにある絶食期に突入し、気分良く自滅に向かい帆を上げた。向う岸も見えない。いつも。


仕事もやり過ごし、ライブを控えている四部屋の連続スタジオをやり遂げてもどこにも自分を感じとれない。


記憶に残ってるのは深夜の2時の練習終わり、ギターを転がしながら見上げた空は夜そのものだった。


半日午前だけ予定が空いたので銭湯に行くとサウナで転倒して大きなアザを作ってしまったがザワつく周りを後に大丈夫だと行って露天に向かった。ホントは自分がどこにいるかわかんなくなってたが入浴すれば済むと思ってそのようにした。


気が付いたら知らない裸のおっさんにこっちも裸で抱き起こされていた。すごい絵だったと思う。


しっかりした後に話を聞くと、サウナからおかしかったので気になって見ていた。露天風呂では口が上を向いて全開以上で寝ているようだった。程なくして身体が沈み、水面から消えて1秒くらいで抱き起こしたとのこと。


最近色々抱え込んでいたのか


あと、友人の一言で救われるって事あるんですね。


ありがとうございました。マジ気をつけます。


ノスタルジックとは。

とにかく自分の心を乗り越えなければダメだ

色々な過去に引きずられない様にしないと。

そしてそれはとても難しい事なんですね。40年かけて積もったものはいらないからって振り払えない。


僕の嫌いな言葉と姿勢に「ノスタルジック」という言葉があります。

一般的な意味は過去を懐かしむ、懐古的というような意味だと思います。昔はよかった、だとか。


先日、機会があり「ノスタルジック」という言葉の意味を調べ直したところ、「失ったものが美しくみえる事、失くしたものを愛おしむ事」

というような記載がありました。


結果、僕は自らが嫌いなものになっていたのですね。


どうにかして前を向いて歩かないと

生きている意味がないし、音楽をしている意義もない。




2017.11.24 難波ベアーズ

前日。福岡、夜中のスタジオにてjenのワウを踏み抜いてしまい家に帰ってからの修理に気が重くなる。


朝6時起きでどれ程休めるのか。

家に着いて合う部品を探すもサイズか合わないので断念。


お休みしていたジムダンロップのワウに交代。何とかなるものです。


新幹線にて大阪着、軽くご飯を食べてスタジオパズルにて3時間練習。


のち、難波ベアーズへ。黒瀬さんはじめ共演の方々も顔が見え始め、リハーサルも問題無くいつも通り。


この日は初お披露目の新曲2曲も演奏。守らず攻める冒険心と前進する心は大事。ホントの意味で言うとそれは本当に大変な事なのですけども。


リハーサル終わり、須原さん達と蕎麦屋へ。今日の僕は一日中何か食べています。


開場、久しぶりの方々や黒岩さんと談笑。

1番目はいかめがねすーすー。

一昨年から急速に知り合い、色々と気にかけてくれる方々。とても低姿勢でやはりこちらが恐れ入ってしまうのですが、リスナーとしての耳は広く、油断は出来ませんがそれは御人格の話。


演奏は今回からシンセが入り5人編成。シャッグスレインコーツが例えでは伝えやすいですが違和感はあります。思うに、、、演奏力がそれに近しいと言うだけで曲自体に色々な要素が入ってます。その先も聴いていきたい、と思う様な素晴らしいライブでした。


2番目、須原敬三+秋葉慎一郎+澤野祥三

関西でも名前が通っている方々の即興とカバーの演奏。

澤野さんのギターが好き過ぎて、まいりました。歌う須原さんも久しぶり過ぎて何だかたまには福岡でも歌えば良いのにな、と思いました。


須原さんとは何なのか、また後日に。


3番目oopnum、重力がスゴかった。ものすごい質量の音を持たされましたが美しい旋律の様でもありました。

上田さんが話かけてくれたので福岡にも来てもらえると思います。密笑と是非やってもらいたいと思います。


4番目tepPohseen

最初から新曲2曲、「情景」「黄燐の鳥」

間違いも多々ありましたがやりたい事に向かう事が大事なので嬉しい。


続く「ろ過」のあとに機材トラブル発生で5分程お休み。ハイハットのペダル不具合発生。こんな事を言うと怒られそうですがトラブルは全く気になりませんでした。


次の曲を待ってくれる人々。


のち、アンコール含め3曲を演奏。

とてもありがたい気持ちをたくさん頂き、夜に沈んで行く。


のち、ヘラバラウンジで演奏する約束やLLRRと福岡で共演したい話など。本当に嬉しい、ありがとうという1日。


次の日は帰ってしまった小貫さん以外、須原さんとスパイスカリー「て」に行きました。変わったカレーが多い上に美味しい。初めての味覚など。


お店の方が埋火の大ファン、という事で、見ていてこっちまで幸せになる様な朗らかさだった。


たくさんの約束を持ってまた福岡へ



















黄燐の鳥 歌詞

銀色の吐息よ、輝く森に降れ


凍てつく宝冠を私に届けて


哀しみが窓を叩く、返事をしてしまおうかしら


樹の無い森へ


運ぶ事、伴う事は白く私の下から飛び立つ


息が切れる様な愛を


鳥たち、私から空を滅ぼせ


見えるものなんか何も無い


心を忘れた私は


失う事だけを満たして



ストラトにした時の話

念願叶い、月に一度はライブをするようになった頃。

友人作の接触不良ギターはホントに鳴らなくなったので修理するという発想もないまま次の楽器を考えた。
 
サンプラーとかに戻そうか、と思ったがギターを好きになりたかったので日本製のジャズマスターの新品をどこにでもありそうな楽器屋で手に入れた。
このギターは大変勉強になったし、たくさん弾きました。ありがとう。
 
後年使わなくなった頃、友人であるUT氏に貸した際へし折られ、詫びのつもりかよくわかんないストラトのヘッドを付けて返してきた。これには大変憤りを感じ、抗議したが前年に僕がUT氏の所有するRolandのビンテージシンセSH-101の鍵盤をライブでぶっ壊していたのでおあいことなった。
これにて氏とは「絶対に貸さないし借りない協定」が生まれた。
 
誤解がないように書いておくと氏は今も敬愛する年上の友達である。
 
前置き。
 
フェンダーの銀パネツインリバーブも手に入れてそろそろずっと使えるギターが欲しいと思っていたが当然お金はないし生活で手一杯。
 
加えてギターの知識もほぼ無い。全く無い。要は見た目とインスピレーションで選ぶ状態。
 
街で下見をしているとフェンダーなら大体20万円あれば何とかなるのか?という感じであった。途方もない金額に思えました。家賃だとかなんだとか。
ホントに物凄く貧乏だったし。
バイトも長続きしないし。
 
そんな事言ってもしょうがないので労働量を増やし、節約して20万には遠く及ばないが何となくローンで買う目処はたってきたように思う。僕の知るかっこいいギタリストはジャズマスターを使っていたのでここは違うものにしようと思った。
 
80年代製の黒のムスタングがカッコ良いなあと思い、試奏などしてみました。値段は割と安かったがあまり良いと思えず考え直したり。というか店員さんの話が多くて向き合えなかった。ギター選びより先に選ぶものがありそうな感じ。
(今思えばとても役に立つ話だった)
 
といったわけで福岡で1番気難しく、
高価という事で有名な個人店に行く事にしました。
客が追い返された話や、店主が中でご飯を食べてて店に入れてくれないとか色んな噂がある店でした。
 
詳細省きますがかなり個性的な店主で自由。客商売としては口も悪く、なかなかでしたが言っている事は真っ当だと思います。ただもう気難しい。
予算とフェンダーが良いという事を伝えると理由を聞かれ、的はずれな事を言うと一々訂正してくる。しつこいのだ。それでもどうにか65年製の水色のムスタングを勧めてもらい、弾いてみるととても良い気がした。時間がかかったが悩んだ末そのムスタングに決めた。20万。ニルバーナ的イメージが苦手だったが音にそんなもの関係ないので大変嬉しかった。
 
その日は大事に持って帰り、家で好きなだけ弾いた。生活が頭をよぎったが、誰も持ってない僕だけの一本という気持ちが勝りどうにか頑張ろうと思った。
 
次の日、今まで使っていた日本製ジャズマスターとの違いや、飛びやすい弦が飛ばない為の工夫だとかもう一度そのお店にお邪魔した。
 
昨日はあんなに聞けた店主の面白いようなイヤミなような、人を小バカにしたような話にも気が気でなかった。
 
店主の真後ろに薄い緑色のストラトがぶら下がっていた。
 
用事が終わり、話も尽きたところで
僕は観念した。すみません触らせて下さい。店主はどうすんのと驚いていたが弾いてみるとこんな事があるのかというくらいマッチしてしまった。
 
もう何も考える事が出来ない。とにかく値段だけ聞いてみた。
 
店主は昨日の話で僕の財布事情を知っていたし笑っていたが段々と真に近付き、カスタムだの何だのと前置きを話した後で40万円である事を告げた。
 
本来、楽器なんか何でもいい、ダメなら工夫と練習すれば良いだけの事なので高価なものなんか必要ないはずだったがそんな話ではない。だけどまず買えるわけない。しかしこのままではいられない。
 
狭い店の中「1人にして下さい」と告げて席を立とうとしたが「わかりました」といって店主の方が店を出て行ってしまった。何だそりゃ。どこ行くんだ。いつ戻って来るんだ。
 
頭を冷やさせない事が高価なものを売るコツだと思うので店主の接客技術かと思ったが、かなりの変人なのでよくわからない。
 
1人、店に残されて1ストロークもしないままストラトを抱えて打ちひしがれていた。汗もでていた。店内には西陽が差している。
 
無論、昨日買ったムスタングも返すつもりはない。ムスタングがあってのストラトという連続した存在であった。
 
もちろん買わない事も出来たが
2時間後、僕は購入を決めた。買うと告げたら30万に値引きしてくれた。よくわからない、ありがたく受けたが、もう10万円の違いくらいどうでも良くなってきていた。
お礼は言わなかった。
何にもないのに2日で利息込み60万の生活必需品でない買い物をしてしまった。後悔とかではなくて怖くてしょうがなかった。
 
2度とこの店には来ない、と誓ったし事実行くことはない。
 
その後、その緑のギターはずっと僕と共にあります。途中で燃えたり落書きもしたりピックガードも割れてボロボロになっていたがもう掛け替えのない存在となっている。17年間使っているようだ。
 
去年ギューンカセットから1stを発表した際に機会があり、ボロボロになったストラトをメンテに出そうと思った。フレットの減りが致命的であったので。(MVはその時に撮ったもの。ギターがなかったので対照的な存在の?ゴールドトップのレスポールを貸してもらった。)
 
現在は簡単に色々お店を探せるので色んなところに聞きに行ったり、持って行ったりしたが何処にも断られてしまった。自分のとこの商品でないし、ネジ1つまともに回るかわかんないものは取り扱えないという当然の返事ばかりもらった。
 
中にはこれ本当にフェンダーですか?とか(知るかそんな事)
半年以上かかりますとか言われたし新品を進められたりした。新品も考えたが全く気に入らなかった。
もちろん良いギターはたくさんあった。
 
少しストラトの寿命も考えたり。
 
しょうがないので2度と行かないと誓った店にもう一度行くしかない状態となった。
 
17年ぶりに店に入ると客に興味が無いような、訝しんでるのかわかんない様な店主が相変わらずだった。
なんか知らないが店の床が水浸しだった。
 
当然覚えてない。
 
狭い店内でぶらついてもしょうがないのでフレットの打ち直しをやっているかどうか訪ねてみると「やらない事もないが、違う工場に出すし、トラブルの元になるからあんまりやりたくない。」
との事だった。店主相変わらずでこのままではラチがあかなかったのでギターを取り出したところ、ヘッドがケースから出たたけで「あ!」と言われ「あの時の!」と叫ばれた。
声にびっくりして手が止まったのだがギターの特徴をいきなりまくし立てられた。完璧に覚えているのでびっくりした。店主の顔のほころびがスゴかった。ギターの焼け後も責める事なくなんか知らんが楽しそうだった。
肝心のフレット打ち直しを尋ねると「やりましょう」との事だったのでホッとした。ここで断られたらもう寿命と考えるしかない様に思っていたので。
 
他にもダメになってる部分を洗い直し直ぐに見積もりを作成。今までの経緯からもう新品にしようか考えてる事も伝えたが「これより合うのなかったでしょ?」と一言で捨てられてしまった。正直おだてられてるのかとも思ったが嬉しいが先にたった。
期間はどれくらいかかるか?との問いに2週間でやる、順番変えてやってくれるとの事で何だかこんな人だったか不思議な気分になった。
 
調整の仕方はオーダーありますか?との事だったので全部普通でお願いします。標準的な感じでお願いしますと伝えた。
 
店の外に聴こえる店主のギターは昔はサンタナだったがこの日はレッドツェッペリンだった。
 
 
 
 
 
 

昔のお話だよ

気が付いたら普通に皆が持っている物は何も持っていなかった。

 

将来の事も考えてなかったし高給で働く事についても一生懸命になれない。

 

ただただCDやカセットが毎日増えていき、機材を繋げるコードの大群が何かよくわからないものになってきていた。

朝起きたら首に絡まっていることもあったし髪の毛が伸びていた時はMIDIケーブルで結んでいる事もあった。いや、シールドだったかな。わからない。

 

まあみんなもやっていたと思うけど

自作の音源を勝手に店先に置いて帰る他にやりたい事がなかった。

 

いや、やりたい事はあった。一生に一度でいいからライブがしたい!と思っていた。

バンドなんてしたことなかったし(ギターはどういうシステムで外のスピーカーから音を出してるのか知らなかったがマイクで拾うんだよ、と聞いた時はなんかガッカリした。今はウットリしている)

まずその様な友達がいなかった。

どうやればいいのかわからなかった。コラージュ、ノイズから少し離れ、ギターを好きになり始めた時期だったので1人でライブなんて全くよくわからないものになるのが目に見えていたし、何より引っ込み思案だった。それでも一度でいいからライブがしたい。

 

といったわけでライブをする為にまず学校を辞めた。

 

そのままフガジのライブで知り合った数少ない友人である山口卓也に自分の音源を渡しグループを作ろうと持ち掛けた。バンドをしよう、とかバンドを組むという言葉が嫌いだったのでとにかくその様に話した。

 

山口さんは快諾してくれてその日の夜はジンに砂糖を入れた何だかよくわからないもので祝杯を挙げ、次の日に死んだ。そんな飲み方などない。物凄い胸焼けだったけど嬉しくてしょうがなかった。

 

2人でスタジオに入ると録音とCD自主制作の広告が貼ってあったので電話で話しを聞いてみた。

 

曲なんて一曲も無かったが8曲録りたいと告げるとレコーディング込みで10万だと言われ俺は2週間日雇いのアルバイトに行った。

 

レコーディングとCDR30枚製作の値段が10万。当時はCDRライターがご家庭に普及していなかったので丸い銀盤、というだけで有難かったのです。

 

とまれ、スケートリンク作製のアルバイトから戻った僕は(今気付いたけどこれも銀盤ですね)録音の予約を取り付けその日を待つ事とした。

 

その際に僕たち2人には名前が必要となったが自分に名前を付けるなんて真っ平ゴメンだったのでコックリさんでバンド名を決めた。それでテッポーシンという名前になった。

今思えば西洋式のヤツにしておけばアルファベットのかっこいい名前になれたかもしれない。

 

レコーディングの日を迎えた朝、録音してくれるエンジニアに実は曲なんかない事、楽器がほとんど弾けない事を告げると随分面白がってくれた。

 

適当な演奏やエフェクターを踏んで英語風な歌をつけて歌ったりした。

持っていったギターは友達が作ってニスを塗ったものでいつも接触不良だった。

 

ミックス作業にすぐ取り掛かってエンジニアの人の提案を全て受け入れた。レコードのポップノイズを入れてくれたりして面白かった。

 

エンジニアの人は料金値下げするよ

と言ってくれたが僕の今までのイリーガルでアウトな生活の中から「正規」だの「正統」に物事を終える、という事へのチャレンジな感じがあったので反対にビタ一文マケさせなかった。

 

そして製作された30枚のCDRには実は行き先が全くないという事実でまたかなり笑ってもらい、1つ思い当たる事があるからと後日になって福岡のレーベル、「ヘッドエイクサウンズ」の吉田さんを紹介してもらった。

 

パニックスマイルの名前は知っていたが山口さんしかパニックスマイルを見た事が無かったので音源を聴かせてもらって感動した。こんなの福岡にあったんだと思った。本とライナーノーツでしか好きな音楽を探してなかったので探せてなかった。

 

約束を取り付けて吉田さんに会いに行くと正直困っていた。忙しいので取扱えない、という雰囲気があったがこちらとしてはここで止まるわけに行かなかった。

 

僕はひねくれもので知られて?いますがこの時初めて他人に本当の心の内を話した気がします。その、今も覚えている言葉を話すと吉田さんから「出しましょう」と一言が出てすごく嬉しかった。

勝手に作ってきたCDR30枚はすでに僕が絵の具でグチャグチャにしていましたがヘッドエイクでパッケージをやり直して頂き発売の運びとなった。

 

要は、ライブをした事も予定もなくCDが発売という状態になった。

1998年の事。

 

※この様なやり方は一切通用しません  し参考になりません。