2017.11.24 難波ベアーズ

前日。福岡、夜中のスタジオにてjenのワウを踏み抜いてしまい家に帰ってからの修理に気が重くなる。


朝6時起きでどれ程休めるのか。

家に着いて合う部品を探すもサイズか合わないので断念。


お休みしていたジムダンロップのワウに交代。何とかなるものです。


新幹線にて大阪着、軽くご飯を食べてスタジオパズルにて3時間練習。


のち、難波ベアーズへ。黒瀬さんはじめ共演の方々も顔が見え始め、リハーサルも問題無くいつも通り。


この日は初お披露目の新曲2曲も演奏。守らず攻める冒険心と前進する心は大事。ホントの意味で言うとそれは本当に大変な事なのですけども。


リハーサル終わり、須原さん達と蕎麦屋へ。今日の僕は一日中何か食べています。


開場、久しぶりの方々や黒岩さんと談笑。

1番目はいかめがねすーすー。

一昨年から急速に知り合い、色々と気にかけてくれる方々。とても低姿勢でやはりこちらが恐れ入ってしまうのですが、リスナーとしての耳は広く、油断は出来ませんがそれは御人格の話。


演奏は今回からシンセが入り5人編成。シャッグスレインコーツが例えでは伝えやすいですが違和感はあります。思うに、、、演奏力がそれに近しいと言うだけで曲自体に色々な要素が入ってます。その先も聴いていきたい、と思う様な素晴らしいライブでした。


2番目、須原敬三+秋葉慎一郎+澤野祥三

関西でも名前が通っている方々の即興とカバーの演奏。

澤野さんのギターが好き過ぎて、まいりました。歌う須原さんも久しぶり過ぎて何だかたまには福岡でも歌えば良いのにな、と思いました。


須原さんとは何なのか、また後日に。


3番目oopnum、重力がスゴかった。ものすごい質量の音を持たされましたが美しい旋律の様でもありました。

上田さんが話かけてくれたので福岡にも来てもらえると思います。密笑と是非やってもらいたいと思います。


4番目tepPohseen

最初から新曲2曲、「情景」「黄燐の鳥」

間違いも多々ありましたがやりたい事に向かう事が大事なので嬉しい。


続く「ろ過」のあとに機材トラブル発生で5分程お休み。ハイハットのペダル不具合発生。こんな事を言うと怒られそうですがトラブルは全く気になりませんでした。


次の曲を待ってくれる人々。


のち、アンコール含め3曲を演奏。

とてもありがたい気持ちをたくさん頂き、夜に沈んで行く。


のち、ヘラバラウンジで演奏する約束やLLRRと福岡で共演したい話など。本当に嬉しい、ありがとうという1日。


次の日は帰ってしまった小貫さん以外、須原さんとスパイスカリー「て」に行きました。変わったカレーが多い上に美味しい。初めての味覚など。


お店の方が埋火の大ファン、という事で、見ていてこっちまで幸せになる様な朗らかさだった。


たくさんの約束を持ってまた福岡へ



















黄燐の鳥 歌詞

銀色の吐息よ、輝く森に降れ


凍てつく宝冠を私に届けて


哀しみが窓を叩く、返事をしてしまおうかしら


樹の無い森へ


運ぶ事、伴う事は白く私の下から飛び立つ


息が切れる様な愛を


鳥たち、私から空を滅ぼせ


見えるものなんか何も無い


心を忘れた私は


失う事だけを満たして



ストラトにした時の話

念願叶い、月に一度はライブをするようになった頃。

友人作の接触不良ギターはホントに鳴らなくなったので修理するという発想もないまま次の楽器を考えた。
 
サンプラーとかに戻そうか、と思ったがギターを好きになりたかったので日本製のジャズマスターの新品をどこにでもありそうな楽器屋で手に入れた。
このギターは大変勉強になったし、たくさん弾きました。ありがとう。
 
後年使わなくなった頃、友人であるUT氏に貸した際へし折られ、詫びのつもりかよくわかんないストラトのヘッドを付けて返してきた。これには大変憤りを感じ、抗議したが前年に僕がUT氏の所有するRolandのビンテージシンセSH-101の鍵盤をライブでぶっ壊していたのでおあいことなった。
これにて氏とは「絶対に貸さないし借りない協定」が生まれた。
 
誤解がないように書いておくと氏は今も敬愛する年上の友達である。
 
前置き。
 
フェンダーの銀パネツインリバーブも手に入れてそろそろずっと使えるギターが欲しいと思っていたが当然お金はないし生活で手一杯。
 
加えてギターの知識もほぼ無い。全く無い。要は見た目とインスピレーションで選ぶ状態。
 
街で下見をしているとフェンダーなら大体20万円あれば何とかなるのか?という感じであった。途方もない金額に思えました。家賃だとかなんだとか。
ホントに物凄く貧乏だったし。
バイトも長続きしないし。
 
そんな事言ってもしょうがないので労働量を増やし、節約して20万には遠く及ばないが何となくローンで買う目処はたってきたように思う。僕の知るかっこいいギタリストはジャズマスターを使っていたのでここは違うものにしようと思った。
 
80年代製の黒のムスタングがカッコ良いなあと思い、試奏などしてみました。値段は割と安かったがあまり良いと思えず考え直したり。というか店員さんの話が多くて向き合えなかった。ギター選びより先に選ぶものがありそうな感じ。
(今思えばとても役に立つ話だった)
 
といったわけで福岡で1番気難しく、
高価という事で有名な個人店に行く事にしました。
客が追い返された話や、店主が中でご飯を食べてて店に入れてくれないとか色んな噂がある店でした。
 
詳細省きますがかなり個性的な店主で自由。客商売としては口も悪く、なかなかでしたが言っている事は真っ当だと思います。ただもう気難しい。
予算とフェンダーが良いという事を伝えると理由を聞かれ、的はずれな事を言うと一々訂正してくる。しつこいのだ。それでもどうにか65年製の水色のムスタングを勧めてもらい、弾いてみるととても良い気がした。時間がかかったが悩んだ末そのムスタングに決めた。20万。ニルバーナ的イメージが苦手だったが音にそんなもの関係ないので大変嬉しかった。
 
その日は大事に持って帰り、家で好きなだけ弾いた。生活が頭をよぎったが、誰も持ってない僕だけの一本という気持ちが勝りどうにか頑張ろうと思った。
 
次の日、今まで使っていた日本製ジャズマスターとの違いや、飛びやすい弦が飛ばない為の工夫だとかもう一度そのお店にお邪魔した。
 
昨日はあんなに聞けた店主の面白いようなイヤミなような、人を小バカにしたような話にも気が気でなかった。
 
店主の真後ろに薄い緑色のストラトがぶら下がっていた。
 
用事が終わり、話も尽きたところで
僕は観念した。すみません触らせて下さい。店主はどうすんのと驚いていたが弾いてみるとこんな事があるのかというくらいマッチしてしまった。
 
もう何も考える事が出来ない。とにかく値段だけ聞いてみた。
 
店主は昨日の話で僕の財布事情を知っていたし笑っていたが段々と真に近付き、カスタムだの何だのと前置きを話した後で40万円である事を告げた。
 
本来、楽器なんか何でもいい、ダメなら工夫と練習すれば良いだけの事なので高価なものなんか必要ないはずだったがそんな話ではない。だけどまず買えるわけない。しかしこのままではいられない。
 
狭い店の中「1人にして下さい」と告げて席を立とうとしたが「わかりました」といって店主の方が店を出て行ってしまった。何だそりゃ。どこ行くんだ。いつ戻って来るんだ。
 
頭を冷やさせない事が高価なものを売るコツだと思うので店主の接客技術かと思ったが、かなりの変人なのでよくわからない。
 
1人、店に残されて1ストロークもしないままストラトを抱えて打ちひしがれていた。汗もでていた。店内には西陽が差している。
 
無論、昨日買ったムスタングも返すつもりはない。ムスタングがあってのストラトという連続した存在であった。
 
もちろん買わない事も出来たが
2時間後、僕は購入を決めた。買うと告げたら30万に値引きしてくれた。よくわからない、ありがたく受けたが、もう10万円の違いくらいどうでも良くなってきていた。
お礼は言わなかった。
何にもないのに2日で利息込み60万の生活必需品でない買い物をしてしまった。後悔とかではなくて怖くてしょうがなかった。
 
2度とこの店には来ない、と誓ったし事実行くことはない。
 
その後、その緑のギターはずっと僕と共にあります。途中で燃えたり落書きもしたりピックガードも割れてボロボロになっていたがもう掛け替えのない存在となっている。17年間使っているようだ。
 
去年ギューンカセットから1stを発表した際に機会があり、ボロボロになったストラトをメンテに出そうと思った。フレットの減りが致命的であったので。(MVはその時に撮ったもの。ギターがなかったので対照的な存在の?ゴールドトップのレスポールを貸してもらった。)
 
現在は簡単に色々お店を探せるので色んなところに聞きに行ったり、持って行ったりしたが何処にも断られてしまった。自分のとこの商品でないし、ネジ1つまともに回るかわかんないものは取り扱えないという当然の返事ばかりもらった。
 
中にはこれ本当にフェンダーですか?とか(知るかそんな事)
半年以上かかりますとか言われたし新品を進められたりした。新品も考えたが全く気に入らなかった。
もちろん良いギターはたくさんあった。
 
少しストラトの寿命も考えたり。
 
しょうがないので2度と行かないと誓った店にもう一度行くしかない状態となった。
 
17年ぶりに店に入ると客に興味が無いような、訝しんでるのかわかんない様な店主が相変わらずだった。
なんか知らないが店の床が水浸しだった。
 
当然覚えてない。
 
狭い店内でぶらついてもしょうがないのでフレットの打ち直しをやっているかどうか訪ねてみると「やらない事もないが、違う工場に出すし、トラブルの元になるからあんまりやりたくない。」
との事だった。店主相変わらずでこのままではラチがあかなかったのでギターを取り出したところ、ヘッドがケースから出たたけで「あ!」と言われ「あの時の!」と叫ばれた。
声にびっくりして手が止まったのだがギターの特徴をいきなりまくし立てられた。完璧に覚えているのでびっくりした。店主の顔のほころびがスゴかった。ギターの焼け後も責める事なくなんか知らんが楽しそうだった。
肝心のフレット打ち直しを尋ねると「やりましょう」との事だったのでホッとした。ここで断られたらもう寿命と考えるしかない様に思っていたので。
 
他にもダメになってる部分を洗い直し直ぐに見積もりを作成。今までの経緯からもう新品にしようか考えてる事も伝えたが「これより合うのなかったでしょ?」と一言で捨てられてしまった。正直おだてられてるのかとも思ったが嬉しいが先にたった。
期間はどれくらいかかるか?との問いに2週間でやる、順番変えてやってくれるとの事で何だかこんな人だったか不思議な気分になった。
 
調整の仕方はオーダーありますか?との事だったので全部普通でお願いします。標準的な感じでお願いしますと伝えた。
 
店の外に聴こえる店主のギターは昔はサンタナだったがこの日はレッドツェッペリンだった。
 
 
 
 
 
 

昔のお話だよ

気が付いたら普通に皆が持っている物は何も持っていなかった。

 

将来の事も考えてなかったし高給で働く事についても一生懸命になれない。

 

ただただCDやカセットが毎日増えていき、機材を繋げるコードの大群が何かよくわからないものになってきていた。

朝起きたら首に絡まっていることもあったし髪の毛が伸びていた時はMIDIケーブルで結んでいる事もあった。いや、シールドだったかな。わからない。

 

まあみんなもやっていたと思うけど

自作の音源を勝手に店先に置いて帰る他にやりたい事がなかった。

 

いや、やりたい事はあった。一生に一度でいいからライブがしたい!と思っていた。

バンドなんてしたことなかったし(ギターはどういうシステムで外のスピーカーから音を出してるのか知らなかったがマイクで拾うんだよ、と聞いた時はなんかガッカリした。今はウットリしている)

まずその様な友達がいなかった。

どうやればいいのかわからなかった。コラージュ、ノイズから少し離れ、ギターを好きになり始めた時期だったので1人でライブなんて全くよくわからないものになるのが目に見えていたし、何より引っ込み思案だった。それでも一度でいいからライブがしたい。

 

といったわけでライブをする為にまず学校を辞めた。

 

そのままフガジのライブで知り合った数少ない友人である山口卓也に自分の音源を渡しグループを作ろうと持ち掛けた。バンドをしよう、とかバンドを組むという言葉が嫌いだったのでとにかくその様に話した。

 

山口さんは快諾してくれてその日の夜はジンに砂糖を入れた何だかよくわからないもので祝杯を挙げ、次の日に死んだ。そんな飲み方などない。物凄い胸焼けだったけど嬉しくてしょうがなかった。

 

2人でスタジオに入ると録音とCD自主制作の広告が貼ってあったので電話で話しを聞いてみた。

 

曲なんて一曲も無かったが8曲録りたいと告げるとレコーディング込みで10万だと言われ俺は2週間日雇いのアルバイトに行った。

 

レコーディングとCDR30枚製作の値段が10万。当時はCDRライターがご家庭に普及していなかったので丸い銀盤、というだけで有難かったのです。

 

とまれ、スケートリンク作製のアルバイトから戻った僕は(今気付いたけどこれも銀盤ですね)録音の予約を取り付けその日を待つ事とした。

 

その際に僕たち2人には名前が必要となったが自分に名前を付けるなんて真っ平ゴメンだったのでコックリさんでバンド名を決めた。それでテッポーシンという名前になった。

今思えば西洋式のヤツにしておけばアルファベットのかっこいい名前になれたかもしれない。

 

レコーディングの日を迎えた朝、録音してくれるエンジニアに実は曲なんかない事、楽器がほとんど弾けない事を告げると随分面白がってくれた。

 

適当な演奏やエフェクターを踏んで英語風な歌をつけて歌ったりした。

持っていったギターは友達が作ってニスを塗ったものでいつも接触不良だった。

 

ミックス作業にすぐ取り掛かってエンジニアの人の提案を全て受け入れた。レコードのポップノイズを入れてくれたりして面白かった。

 

エンジニアの人は料金値下げするよ

と言ってくれたが僕の今までのイリーガルでアウトな生活の中から「正規」だの「正統」に物事を終える、という事へのチャレンジな感じがあったので反対にビタ一文マケさせなかった。

 

そして製作された30枚のCDRには実は行き先が全くないという事実でまたかなり笑ってもらい、1つ思い当たる事があるからと後日になって福岡のレーベル、「ヘッドエイクサウンズ」の吉田さんを紹介してもらった。

 

パニックスマイルの名前は知っていたが山口さんしかパニックスマイルを見た事が無かったので音源を聴かせてもらって感動した。こんなの福岡にあったんだと思った。本とライナーノーツでしか好きな音楽を探してなかったので探せてなかった。

 

約束を取り付けて吉田さんに会いに行くと正直困っていた。忙しいので取扱えない、という雰囲気があったがこちらとしてはここで止まるわけに行かなかった。

 

僕はひねくれもので知られて?いますがこの時初めて他人に本当の心の内を話した気がします。その、今も覚えている言葉を話すと吉田さんから「出しましょう」と一言が出てすごく嬉しかった。

勝手に作ってきたCDR30枚はすでに僕が絵の具でグチャグチャにしていましたがヘッドエイクでパッケージをやり直して頂き発売の運びとなった。

 

要は、ライブをした事も予定もなくCDが発売という状態になった。

1998年の事。

 

※この様なやり方は一切通用しません  し参考になりません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ああ

SNSで一気に告知しました。疲れた。


皆もそうでしょうが僕も忙しくなんか一区切りついたような。


昨日はサイケ奉行と蝉のライブを観に行って良かった。凄い演奏でした。


忙しくて疲れる、というよりもなんか無駄な考え事をしてる時間が多い。そのせいで参っているのか。


まだどうしても嫌いでしかない事があって避けてる事があるのです。その事に周りの人が気を使う必要は全くないのだけど、僕が嫌な気分になる、と知ってて強調する事はないんじゃないか?と思う事があった。


素直に嫌な気分になったので自分も他人に同じ事をしないようにしたいなと思いました。


湿った日記だ、楽しい事を考えよう。

どういう意味?

前から偏頭痛があったのですが

今回初めて1週間以上続く頭痛にやられています。


といったわけで病院に行き、CTとMRIとレントゲンで調査してもらいましたが、異常無しという事でした。


異常無いなら良いのですが実在するこの痛みは何なのでしょうか。


感じの良いお医者さんでしたが検査の結果異常が無ければもう興味がない様子でした。さすが他人。多分知ってるケースや症状があれば熱心なのでしょう。

しょうがないので自分でなんか解決方法探そ。いてーよ

やってみる

ガラにも無く、ガラにも無いから格闘技を始めました。自分の価値観を変えたかったので。


特に才能?もなくかなり痛い思いをしています。

それでもまあなんとか可愛いがって頂きスパーリングなんかすると、どうしても勝ち負けが出るのです。

優劣がはっきりする、というのもそれはそれで面白い事ですね。


相手の肘を蹴ってしまい27.5のスリッポンが入らない程足が腫れてしまいましたがスパーリングの途中は何ともなかった、アドレナリンについて調べたり。


殴られた際に頭に浮かんだ手法で曲を作ろうと思ったけど全く見当違いだった。閃いたと思ったんだけどなあ、、、

またいくつかのフレーズや連続したコードがアイデアの墓場でその体を横たえる事になった。

いや、墓場では無いのかもしれない。この使えなかったアイデアブラックホールは実は皆の共有する空間で、本日僕が拾い、投げ捨てた材料は明日はまたどこかのみじめで可哀想な作曲家が拾うのかもしれないし、どこかの誰かの、不意な鼻歌として出現するのかもしれない。

もしかしたら何処かでこすれあう金属同士の間で発音するのかも。

まあいいや

人間はあまり頭を殴られない方が良い。