ああ

SNSで一気に告知しました。疲れた。


皆もそうでしょうが僕も忙しくなんか一区切りついたような。


昨日はサイケ奉行と蝉のライブを観に行って良かった。凄い演奏でした。


忙しくて疲れる、というよりもなんか無駄な考え事をしてる時間が多い。そのせいで参っているのか。


まだどうしても嫌いでしかない事があって避けてる事があるのです。その事に周りの人が気を使う必要は全くないのだけど、僕が嫌な気分になる、と知ってて強調する事はないんじゃないか?と思う事があった。


素直に嫌な気分になったので自分も他人に同じ事をしないようにしたいなと思いました。


湿った日記だ、楽しい事を考えよう。

どういう意味?

前から偏頭痛があったのですが

今回初めて1週間以上続く頭痛にやられています。


といったわけで病院に行き、CTとMRIとレントゲンで調査してもらいましたが、異常無しという事でした。


異常無いなら良いのですが実在するこの痛みは何なのでしょうか。


感じの良いお医者さんでしたが検査の結果異常が無ければもう興味がない様子でした。さすが他人。多分知ってるケースや症状があれば熱心なのでしょう。

しょうがないので自分でなんか解決方法探そ。いてーよ

やってみる

ガラにも無く、ガラにも無いから格闘技を始めました。自分の価値観を変えたかったので。


特に才能?もなくかなり痛い思いをしています。

それでもまあなんとか可愛いがって頂きスパーリングなんかすると、どうしても勝ち負けが出るのです。

優劣がはっきりする、というのもそれはそれで面白い事ですね。


相手の肘を蹴ってしまい27.5のスリッポンが入らない程足が腫れてしまいましたがスパーリングの途中は何ともなかった、アドレナリンについて調べたり。


殴られた際に頭に浮かんだ手法で曲を作ろうと思ったけど全く見当違いだった。閃いたと思ったんだけどなあ、、、

またいくつかのフレーズや連続したコードがアイデアの墓場でその体を横たえる事になった。

いや、墓場では無いのかもしれない。この使えなかったアイデアブラックホールは実は皆の共有する空間で、本日僕が拾い、投げ捨てた材料は明日はまたどこかのみじめで可哀想な作曲家が拾うのかもしれないし、どこかの誰かの、不意な鼻歌として出現するのかもしれない。

もしかしたら何処かでこすれあう金属同士の間で発音するのかも。

まあいいや

人間はあまり頭を殴られない方が良い。




先日

40才の誕生日を迎えました。大体褒めてくれる人をけなし返すような人格をしているのであまりお祝いされた記憶もなかったけど、0時丁度にケーキが入室して来たので固まってしまいました。慣れてない。しかしながら嬉しいばかりか感慨深さがありました。居合わせてくれた方々、ありがとうございます。お祝いに足る人になりたいと思います。

思うんだけど

長々と無茶な提案と支出と利益を書きましたがシンプルに書き直しました。


以下本題


ハコのチャージ代ってドリンクじゃなくてもいいかなと思います。


500円程チャージがかかるのはハコにも必要だろうし別に良いので違うアイデアが見たいです。


現在飲み物にかかってる原価も減らし(もしくはそれを上限として)、ハコやイベントの告知に繋がるような。いつか出演予定のあるバンドを集めた?CDRとかダウンロードコードとか。面白ければ何でも。

そんなの通用しない日が多いと思うけどたまには。


みんな今まで通りお酒とかの方が良い?


9月16日

先日のgigi 、全員参加の全面戦争のようなソロライブを終え(暴力的な表現ですみません。)

9月16日に気持ちが向いています。

1年前のレコ発間近の時以来です。割礼との共演。


この1年間、色々なところで物凄い体験をさせて頂きました。

早々に感じたのは自らの実力不足。

このままでは行きたいところに行けない事を身をもって知りました。


開き直る事も気にする事も無いような天才型のバカにもなれず、途方に暮れた日を覚えています。


音楽に優劣はありません、しかしながら明らかに存在するのです。


劣っている、足りない、という気持ちを無視して音楽に優劣が無いなんて言えません。今、目の前で展開している輝かしい演奏と同価値のものを自分も出来る、なんて思えません。「共演」というのはただその場にいるだけの事では無いのです。

見合うものが無ければ成り立ちません。

人は人、自分は自分という言葉を便利に使う気になれません。

その言葉は他人以上の事をやっている人が使えば良いと思います。


もっと恥ずかしい思いをして、痛みを知り、練習して、出来ない時は勉強する事。手本や先生等はそこら辺にいくらでもあるのです。

とはいえ、根性論は僕も嫌いですが

しなくてもよい思いや体験を避けれる程音楽が得意ではないのです。


実力のない個性は今の僕に必要ありません。


向上心と探究心を持って9月16日や、これからを過ごしていきます。







さようなら

別段、アウトでもローでもない私立高校生だった。

力は弱いが勢いだけがあり、友達がいる自分と、誰とも共有出来ない音楽観の本心とで何だか自分が2人いるようだった。


当時は他人に合わせまだ珍しい事でスケートボードもして目立つところにピアスを開けて何だかカッコつけていた。おかげで学校の外にも友達が増えたが、なんか違うと思っていた。


当然、お金などないのでCDやレコードを買う為に日雇いのアルバイトをしたりした。

そうするとまた色んな事を教えてくれる人達と知り合った

20歳を超える人達と遊ぶ高校生となり自分で買えないレコードを聴かせてもらったり大変面白かった。


18歳以下でも入れ墨をいれてくれる人も紹介してもらった。


夜に予約を取り付け、前から彫りたいと思っていた文字を用意してその人の家へ向かった。

その人は全身墨だらけだったが特に

腕に入っていた「うる星やつら」の入れ墨が最高だった。


音楽の話をしたり、まだ僕が未成年だったのでなぜ入れ墨をいれたいのか、なぜその言葉なのかよく聞いて、よく考えるように促されたが

話を聞いてくれて墨を入れてくれる事になった。当時はホントにそれ程の事だったのです墨を入れると言う事は。小さいけど。僕の年齢のせいでお互いのリスクもかなりあったし。


学校は通っていたので水泳の授業は全てパスした。他人に見せても良くない事しか起こらない筈だったので出来る限り誰にも内緒でいた。

彫ったその言葉は当時とても僕に影響を及ぼし今も原動力になっているかもしれない。


先日、その彫り師の人が亡くなった。とてもたくさんの人に惜しまれ愛されていたのはきっとそういう人だったのでしょう。


おやすみなさい、あなたの記録は僕の肌に記されています。生涯忘れ得ぬ事よ