役割り。けど

大きくてキレイなものが見たい、と思い立ち、2人くらいで桜の名所を訪れた。隣県にあるそこはとても美しく圧倒的だそうだ。


道中、旧城下町によって名物のカレーパンを食べたり、まだ季節にない鮎の看板に思いを馳せた。早く六月になればいいなと思ったがそれでは桜が無くなってしまうのでお行儀良く、順に楽しもうと思います。

など。


もうここで良いではないか、と思うほどの咲き方をしていて僕は溜め息が出る程感動しました。


いえいえ、それはなりませぬ。私は行くのです。


途中幾度と無く素敵な風景に時間を奪われた。もしくは捧げた。


目的地に到着してみると断崖絶壁の麓の道路から見上げる格好で息を飲んだ。暴力的なまでに美しいのです。ずっと見上げていました。

多分口も開いてたと思う。よくわかんないけど何だか傷ついてしまって

オレは生涯、感傷的でいるんだなと思い知りました。

日本海VS太平洋2

もう自由でいるのもイヤになってきた。


街に行こうと思い、大きな駅に着いた。そこは昔、映画でみた事のあるロケ地だった。


揺らめき高く燃え上がる明かり、巨大な暴君、黒檀の様な肌と空を裂く光線がここをぶっ飛ばしたのだ。


そう言えばずっと何も食べていなかったので懐かしさも手伝い、冷凍みかんを食べた。選択ミスだったけど美味しかった。トゥー・マッチだよ君。


今までと逆の事をしようと思った。何が逆かわからなかったのでゲームセンターに行った。ゲームはしなかったが、良い感じに心がすさみを取り戻した。旅行に出た原動力を取り戻したのでまた、放浪まがいを続ける事にした。


やっと携帯電話を使う気になったので現地の知り合いに連絡をとって遊んでもらった。人が人を呼び3人でカラオケに行った。今までと逆?の事をやりたかったのでこの提案は大変嬉しかった。

夜も遅くなり泊めてくれそうだったが、解散して今度は公園のベンチで寝た。


何となく、明日帰ろうかなと思った。余り放浪的なものは好きでないし、下手だから。


午前中に銭湯を見つける事が出来たので利用したが何1つさっぱりしなかった。とても良い庶民的な銭湯。いつだって良くないのは俺のせいだ。それと銭湯の場所を教えてくれたおばあさんはとても親切でなんか心が晴れた。嬉しかった。とても感じの良いクソババアだった。


昨日の友達とまた少し会って話をし、帰る事を告げた俺は太平洋側の電車に出来るだけ遠回りして乗って家を目指した。造船所がオレを燃やした。


最終的に、僕が住む街へ時速300㎞で突き刺さった。


何も得ることが無く、何も失う事も捨てる事も出来ない、いつもの日常だった。どこでも良かったし多分家でもよかった。




日本海VS太平洋

どうでもよくなって外に出た。

いっそ車輪になってしまいたかったがそれで海を渡るのは辛いだろう。

なので電車に乗って海を渡った。


速さは関係ないので鈍行に乗り、一先ず本州を時計回りにする事として後は考えずにいた。途中で降りたり、旧武家屋敷を見て回ったが小さな堀に泳いでいた金魚しか覚えていない。


ふと思い出したけど以前、余り仲が良くない人と車中2人になりホントにどうでもよくなって「あ、あそこにUFO飛んでますよすごいですねー」と適当に言ってみたところ、ムスッとされてしまい、元の絶妙な雰囲気の悪さに戻った。なんだその態度は。UFOが飛んでなくてムスッとしたいのはこっちだ。

なぜ今思い出したのか。金魚とUFOは何かあるのか?ないよな。


松下村塾的な何かを拝み、駅=次へ向かった。どこへ行こうというのか。どこから来たというのだ。

 誰が愛を呼んだのだ。


車窓から見える日本海は暖かくなってきた頃でも威厳ある寒さを備えており、とても美しかった。ついぞ降りてやっと四畳半程の砂浜を探し出し居座ってみた。今や浜辺の民主的な王様となった僕は侵略する波を恐れ、亡命した。

大変にキレイな浜辺で、行かなければ良かった。見ているだけで良かった筈だ。

日も落ちて暗くなってきたので1日の終わりを考え始めた。時間を数学的に逆算してみたところ砂丘があったのでそこを目指す事にした。


最寄りの駅に最終電車近くで辿り着き、砂丘はどこか?と問いしところ、数多の売り子いうよう、西へ進め、さすれば辿りつかん。との応えにかたじけないと言い放ちその場を後にした。背後にはつむじ風が吹いている筈だった。


砂丘への道は徒歩では遠く、街灯もなく、トンネルもありちょっと大変だ。後で聞いた話だがちょっとした肝試しスポットだそうだ。こわくない?言ってくれよ。


有名な話だと思うけど砂丘はやはり砂だった。物凄く高低差もありなんだか危険な気もしたが今夜はここで眠ると決めたので寝袋をひいた。

砂の女」を少し思いだした。


目が慣れて、落ち着いてくると星は綺麗で砂もキラキラと光っており気分は良かった。横にはなったものの、眠れない。恐らく2時間くらいは物思いにふけっていた。やがて訪れる眠りの浅瀬まで。


目覚めてみると雨が降っていて辺りは泥になっていた。流石に狼狽した。大きな泥地の中にいたので何だか切なくなったが脱出する事を先にした。後で思ったが心だけ泥に沈めておけば良かった。


砂丘の入り口?の方に行くと偶然お祭りの準備がされており、バンド演奏もあるとの事で出演者名簿を見ると「砂嵐」と書いてあり、何だかとても情け無い気持ちになって砂丘を後にした。


大体、自然は嫌いだ。偉大なのはわかるが強過ぎる。ちょっとすればすぐ咳き込まされるし、何だか肌だってむず痒い。赤く腫れるのだ。


しかし、集団になった人間は更に恐ろしい。あの手この手で快適さを求める。同種であろうと、快適さの為に傷付け合う。私はそんな集団から離れ、個になろう。私1人で個にして全、ここで道を指し、示し、山を建てよ、石碑を掘れ、名を唱えよ!願い給え!諦め給え!私は我が足元へ身を投じ、我と我が身は召されるであろう!



数百キロ離れた人工の湾に移動し、そこらへんにあったビーチ・パラソルの下でくつろぎながら、以上のようにふざけて一人開眼した。皆さんもどうですか? レジャーとしての悟り、スポーティな開眼。何となく立法。しかしこの環境で悟りを開けるのであればそこら辺は仙人だらけである。仙人が千人いるのだ、いや、もういい。ホントいい。何だか砂嵐以上に情なくなってきた。


たかが数年、バンドをやっているだけの奴がどうした事か仙人気取りの時がある。何だオマエは。どこからその自信が生まれてくるのだ。ゲージツというのがそんなに尊いのか。尊いものの中にオマエはいるつもりなのか。


なぜ俺は海に3度も寄ったのか、またしても日が暮れて、河川へ行く事にした。水には変わりなかったけども。


その河川には中洲のようなものがあり、もうどうでも良くなった俺はザブザブと服を着たまま入って行き、中洲に砂だらけの寝袋を叩きつけ、寝そべってやった。流石に疲れがあり、眠るのは早かったようだ。だが、小1時間程で起きた。というか起きざるを得なかった。

目の前に大きな松明を燃やした船が火の粉を撒き散らし観光客を乗せて、鵜飼を見せているのであった。観光客どもは不意に中洲にいる僕の方を注視し、とてもバツが悪かった。

結局、ただの観光地なのに何だかヤケになって大きな気分で寝ていた僕はとても恥ずかしい気持ちだった。

不貞寝した。絶対にどきたくなかった。



続く、と思う。





赤橙夜想曲

縁があり、異国で3日間を演奏する事になった僕達6人は空港に集合した。

しっかり表現すると集合する約束はした。


その時の僕は小さなクセに大らかで

1時間遅れてしまい、大変に怒られたが間に合ったので良かった。


当時は国交もあやふやで日本の文化の紹介をマイルドに禁止しているような国に飛び降りたのである。何だか行ってはいけないところに着いたようで大変にエキゾチックだった。


エキゾチックといえば少し亜熱帯を想像するけど寒かった。でもエキゾチックだったのです。


空港の荷物受け取りの際、ベルトコンベアーに傾斜がついていて僕の楽器が50センチくらいロケットの要領で飛んでいくのを眺めた。今でも空港を利用すると思い出す記憶です。


首都に到着すると現地の日本人オーガナイザーに案内されて、1日目の会場へ向かった。

道中、舗装の乱れた道路や足のないホームレス?の露店商、山と積まれ、下の方が腐ったほうれん草などがあり、大変興味深かった。

確か、いくつかの屋台に入り早速酒を飲み始めた気がする。

大林宣彦的な表現だが、あの頃の我が胃袋を想うととても頼もしく、抱き締めてやりたいくらいである。


他にも数バンド、日本から来ていてその日は演奏もするが前夜祭の様な雰囲気。

何だか会場中が赤かった。某アングラ有名ドラマーのショウも楽しかった。ここで友人が現れた。


現地在住のこのアメリカ人2人はとても良いヤツで観光ビザで暮らしているもんだから切り替えの為にたまに日本に来て遊んで行くのである。


この、アジアに妙な敬意を捧げる(時々いますよね?祖国文化への反感からか、漢字の入れ墨を入れたり、和服を着て過ごす類の。)ナイスなアメ公達は自宅が近くだと言い、一度帰っては手料理を作り持って来て振舞ってくれた。1日目はつつがなく終了し、適当なビジネスホテルで眠る事が出来た。と思う、、忘れた。


2日目、日本から一緒にきた6人は昼は観光を楽しみ、人種としては嫌われていた様だが仕方ない様に?歓待してくれる屋台の人やお店で楽しんだ。この頃には多少必要な言語も覚え使っていたと思う。


というかどこに行っても、「ありがとう」が言えれば大丈夫だと思う。

そんな事ないけど。


2日目(もしかしたら3日目の事)はとても大きなクラブでリハが終わった段階で周囲に人も増えていて熱狂的な期待をさせるに充分であった。

驚きであったのだけれどそのクラブは土足禁止のフローリング。何と床暖房になっていたのでこの初冬の北緯37度にあるこの街でも充分に暖かかった。少しタイムスケジュールがタイトに出来ていたが、与えられた時間がある以上、引き締まった思いでビールを飲んでいた。(スミマセン)


ここで別にやって来た日本人出演者がやらかしたのである。

だらだらとした即興風演奏だけならまだしもその結果に納得行かなかったのか二階に駆け上がり、一階へ飛び降りたのだった。


日本でコイツのステージは見た事あるがこの時も脚立に全裸で座って最後を迎えていた。僕は音楽代表でも何でもないので、好みでいうが大変嫌いだ。


とにかく当然の様にイベントは中断し救急車が呼ばれ、そいつは大腿骨だか何だかを骨折していた。後日の事だが、座った姿勢で帰れないので帰りの飛行機の僕らのチケットまで要請してきた。もちろん断った。


これで僕らの演奏が中止になろうものなら追いかけていってトドメをくれてやるところであったが主催者の努力のおかげで予定通りの演奏時間は保てた。


もうとっくに時効なので現在はどうとも思ってないが大変ですよね、バカって。どんなに衝動的であれ、2階から飛び降りなくても気が済む様に音楽やってるんじゃないのか?と思いました。まあいいや。あ、あと前もってわかる事が出来る様なバカな理由で演奏をキャンセル出来るヤツも嫌いです。まあいいか。


この日の夜は前述のナイスなアメ公2人が是非みんな、うちに遊びに来てくれというが、異国情緒をしっかりと楽しみたいところもあったので、感謝も交え、その間を取り、僕だけ別行動で遊びに行った、、、ところが、、


前から少しわかっていたが少しヒッピー癖があり、遊びに行った部屋は綺麗だけど、(多分その場にいた女の子の家だろ、あれは)かなりグルーピーであった。

女の人達は大学生で、何にでも興味津々で聡明な感じもあった。

話したりして楽しかった。

この日は夜にも関わらず、その子達にひっきりなしに電話がかかって来たし電話を変わられた。日本人、というだけの事なのですが中には日本語を勉強しているので試したい、というだけの人もあったがとても上手で5分程は無理も無く会話出来た。

何というか皆物凄いエネルギーだった。

僕なんかは自分の出生だけで珍しがられチヤホヤされた格好で悔しいだけだった。何と無くその日の自分の役割はわかっていたのでその様にした。色々あってとても楽しかったが、皆を連れて来なくてよかった。


3日目(2日目かもしれない)はその新しい友達達と昼食をとり、また、文化的興味心の的となりかけたがもうリハーサルの時間が近付いていた。場所を告げ、道を訪ねるとわからないと言う。かなりヤバイ事だとわかり、何とか場所を探しだし時間がなかったので原付の2人乗りで会場に向かってもらった。異国情緒も何もない、高らかな太陽の下で赤信号?と歩道を駆使して会場入りした。


到着してみると何か不相応な随分立派なライブハウスで、PAマイケル・ジャクソンの様な話し方で面白かった。リハーサルが終わると外にかなりの列が出来ていた。3日間のクライマックスが迫って来ていた。会場はもういっぱいである。

このツアーのtepPohseenは共演のアクシデンツからドラムスに清水君とベースに純子を擁した4人編成、この日は一曲15分の「常緑樹」だけを演奏した。全部を使い、物凄い演奏だったといえる。会場は湧き上がって外に出るのも一苦労で沢山の人達が付いてきてくれて握手だのサインだのをした。

音源も沢山もらった。


しかし1番のクライマックスはこの後だった。やっと現地ミュージシャン達と交流を持てる日になり、一緒に打ち上げに向かった。途中、衝動に駆られたのか感傷的になっていたのか、それとも僕達全員の気持ちを代弁しようとしたのか、

キレてしまった純子が無関係の「走っている」タクシーに現地の言葉で「ありがとうございます!」と叫びながら飛び蹴りをしてしまった。

走り去っていくタクシーに僕達はビックリもしたが大笑いもした。


あれ程英雄的な飛び蹴りは見た事無かったし、今も無い。


純子はその後、5メートルはあるかという様な風船の看板も倒してしまった。


店に入るともうみんな面白過ぎて、色々聞かれたし、こっちも色々聞いた。全てが同じ価値観の異文化の交流だった。現地の酒は我々が普段飲むよりもアルコールが薄く、我々は潰れずに飲み続けた。話相手は一旦潰れていくのだが、幾度と無く蘇ってきた。もうすぐ現地音楽界隈のボスが来ます、という事で待っていると、とてもナイスな人であったがやはり30分程で潰れた。みんな笑っていた。ボス、というよりも皆に愛されてる人なんだなと思った。


別テーブルが爆発した様な騒ぎになっていたので行ってみるとやはり中心は純子だった。

休業中の向かいにある店の生け簀から手掴みで海老を取って来て、自分のテーブルの鉄板で焼いていた。皆に拝まれていた。


そのまま2次会に行くと登ったのか降りたのかよくわからない店で食べた事もない様な美味しい鍋を食べさせてもらった。

その後、どこに泊まってどうやって帰ったのかは覚えていない。








鳥は飛ぶ

23時を過ぎた頃、何もなく集まっていた僕ら4人は何かしようと思って。


大体にして1人ずつ何も無い人が順番に集まってきたのでスーパー何も無い状態になってしまった。幸いハイエースが一台と一晩遊ぶだけなら充分楽しい面子が揃っていた気がする。


とにかく適当にいるものを買い込み、市内から山の方へ向かう。


1時間ばっかり適当に進むとこの街はもう立派な田舎で左右に田園が広がって何も無く、人気もないのだけれど、夜に隠れる事もなく前方にマスクをした5.6人の集団がいた。


僕達の車に立ち塞がる格好。

ちょっとなかなか無い状況で、当然メッセージを送ってくるので車の横に回り込んだ連中相手に

窓を開けてみると意外にも

「お願いだから乗せてくれ」

との事。

運転していた奴は気の良い奴で徐行しながら逡巡していたが当然

「いいから行けって!早く!」

という僕達の声に従った。

バックミラーから消えて行く集団を見ながら少し僕らは興奮気味であったが数分もすると笑いに変えようとどうでもよい会話と推測をしていた。

「何あれ?」「野球しに行くんじゃない?」「金属バットって事は甲子園かな」

そんな感じ。とにかく過ぎた事なので安堵しつつまた数分直進して行くと目の前に甲子園が現れてしまった。補欠達よりも早く到着してしまった。


およそ10人対10人、周りに何もない路上でものすごい乱闘が行われていた。全身全霊のマッドマックスである。

いや皆さんね、20人くらい別にって思うでしょ?大昔の何だ?戦争とかに比べればかなり小規模なわけで僕だってその場にいなかったらそう思います。でも一度観てみるといいですよ、想像するより凄い状態なんだから。逆マーライオンですよ。思ってたより凄いんですから。


それで更にマズイのは集団が僕達に気付いて動きを止めたんです。完全に値踏みというか訝しむ形で。Uターンする幅も無いし戻ったとしても前述の未だ到達せぬ補欠と挟まれる形になるわけで僕達に出来る事はゆっくりと前に進む事だけ。


お互いの顔が確認出来る距離になると僕達が何者でもない、ただの温和で適当で貧乏それでいて太宰治も読んだ事のない、行く宛のない落第者だと悟ったのか道を開けてくれました。すれ違う瞬間は正に緊張の頂点で殺気と視線が僕らに集中している。僕が居合の達人ならば直ちに心眼に目覚め、切り捨てては刀の錆にしてやるとこだがそんな要素は少しも無い。落第者である。

誰とは無しに車内では「目をあわすなよー、刺激するな」と言わなくても分かる雰囲気。運転手だけ苦笑いで会釈している。

魚群の端にかかる瞬間に耐えられなくなり「行け!ゴー‼︎ゴーだ!」と叫んだのを覚えています。


後ろを振り返ると即座に集団がもみ合う、という事はなかったのでもしかしたら連中は冷めてしまって分別ついたのかもしれない。


そうすると我々は何か1つ良い事をしたという事になる。


そのまま我々は県内有数のオカルトゾーンへ行きあたりを伺った。


同じような目的の、目的のない数人がいたので車の助手席から発煙筒を取り出して着火し、

「おバケだあ〜!」と投げつけてやった。誰一人びっくりする人達はいなかったし夜なのに空気が白くなった。

羊達は沈黙していた。


無論、僕はそんな事しない。こいつはとんでもなく無鉄砲なヤツでついたあだ名が「人間ハードコア」だった。

先日なんかは皆が何かの理由でくたびれ果て、笑いが欲しくなっている時とはいえ、道路脇にお供えしてある花を手に取り僕らに差し出して、「みんなー、元気出して、綺麗な花だよー!」とのたまった。

何というかやっちゃいけない事を平気でやってのけるタイプ。

冒頭にも書いたが一晩遊ぶだけなら笑えるが連続は無理。


その後は近くに奇跡のような屋外温泉とお座敷の宴会場のようなところがあり、大いに楽しんだ。


数ヶ月後、余りに素敵だったので再訪するとそんなものはなかった。近隣の人に聞いてみても何の事かわからないようだった。

何だったのだ、あれは。



teen

まだ確か17歳くらいで、家では将来のtepPohseenの為に録音や、何かがらんとした空間を見つけてはノイズを出すお稽古をしていた。当時発売されたばかりのヤマハのSU10を武器に片っ端からサンプリングするのに夢中であったといえる。


当時数少ない、音楽以外の友達からスケートボードを勧められてクラブに遊びに行き始めたのもこの頃。


自分の境界線を飛び越えて色々な人と交流をもつ時期だったのでしょう。ノイズもハウスもパンクもフォークも全部ハードコアとして聴いていた17歳。かな


とある夏の夜に1人地元の駐車場で滑っていると同年代くらいの男に話かけられた。

「何してんの?名前教えてー」

どう見たってスケートボードをしていたし若干戸惑ったがその時はオープンでありたい悩めるセブンティーンだったのでバカ正直にフルネームで答えたところ、男はQと名乗った。何でも東京から学校も出ずに流れてきて今は土木の仕事をしている、との事。今となっては苗字もわからないし考えたら本名かどうかもわからなかったがやたらとスケートボードが上手であった。フリップ等も教えてもらった。


Qの家はやはり近くで1人住んでいて限りなく自由なシックスティーンだった。年下かよ。

後はお決まりのコースで大事な時期だというのにQの家に遊びに行ってはゲームしたり音楽聴いたりしてかなりドープだった気がする。マズイ、とか当時はわかんなかったな、、んー、、わかってたのかな。

2人がそんなハイティーンなので色々友達が増えて夜遊びが増える様になり酒とかなんかそこらへんの許された?ものでは刺激を感じなくなってちょっともう正気ではなかった気がする。

断っておきますが、昔はこんな事してたんだよ、とか悪かったんだよとかの話をしたいわけではない。詩集を読んで感動したり、路傍の花を踏んでしまい気にかける様なとこも確かにあった。まあいいや


そんな2人の仲は理由もなく収束し、気付いたらQはいなくなっていた。そんなものです。


そんな記憶も薄れ20歳も近くなり僕は1人暮らしを初めていよいよ、よくわからない大音楽に没頭していました。

「良くん元気?」突然入って来たポケベルでQだとわかった。

ああまたあの毎日が始まるんだという気怠さと共にまたオープンに見せたい癖が抜けておらず半ば諦めと喜びから自分の家へ招き入れてしまった。

Qは相変わらずで必ず何かの成果を持って家に帰ってきた。必ず女の子を連れて来ては3.4人で朝を超えても酒を飲んだり、Qがいない時にまた女の子が来たりしてとても困ったり何だかよくわからない事になっていたけど何だかわからない刺激?を求めて外や中で遊び続けた。

回線のあるPHSもくれた。


そうなってくると今度は悪い大人の、遊びではない人達が出て来て大変にマズイものをもらうようになってしまったのです。管理という名目で凄く痩せた、少し年上の女の人も付けられてしまった。「あんたダレ?」とか聞くのもカッコ悪いし、知りたくねーし。


とにかく、書を捨て街に出た結果だった。


ちょっとボカして書きますが

僕達3人は僕のワンルームに閉じこもり、音楽をかけてやたらとライターを消費した。ライターで良かったのはその女の人の良心だったのかも知れない。針とかねーし。2.3日は家から出なかった気がする。ライターが無くなったから家から出るより他なかった。家から出ると街は森の枝になっていたが全く気にならなかった。

フクロウからライターを買って家に帰った。そんな生活を節度を持って?数回繰り返しでターンオーバー。


基本的に眠る事が無かったのでずっと起きて考え事をしたり掃除をして遊んでいたのですがいつしか眠ったその女の人が起きなくなった。

今に起きるだろう、と思ったものが丸2日間眠ったままでよく見たら呼吸も脈もない様な状態に思われさすがにディープになった。どこか連れて行くしかない。Qと目を合わせて無言で相談した。


部屋にエアコンは無く、ジリジリとしていた。やけに赤い西陽は真っ青な女の上に落ちていた


もうここら辺で上からエンドロールでも流れてくれないかと思ったが

天井しかなかった。


もう2人とも正気ではないので「どこかだれにも見つからないところ」を探そうとしていた。病院とか正しい?とこじゃなくて。つか、山とか。山とか。車もないし、免許もないし検討もつかないし、大きなスコップも持っていなかった。電気のN.O状態で何もなかった。誰かに聞くわけにもいかなかった。ブルーシート!と思ったがそれは見つかった時に警察が使うものだと気付いた。


結果、夜にその女の人は目覚めたので僕達はそいつを埋めずに済んだ。


同じ時期にもう1人の友達がパチンコ屋で強盗をして捕まっていた。


気付いて見たらマズイ状態だった。


それを機に全てを捨てて1人になった。終わって冷めてみればイヤな出来事であったし幸い抜け出せない状態ではなかった。ホントはオープンでない自分自身が役にたった。


若気の至り、では済まされない間違いの記憶。

空想の日記として読んで下さい。




下関での演奏終了

ex.RAMSTEDのnaoさんと久しぶりに会いました。会場である下関のcomに到着するとnaoさんのリハーサル中でしたが物凄い眼差しで目だけで挨拶、歌うのをやめないし目線を外してくれない。会うのは3.4年振りでしたがそのまま僕もギターをアンプに挿して一緒に演奏しました。その場所にいたのは僕達一行と欠席兄弟の人だけでしたがいつも最高の演奏は最少の人数で起こるようで勿体なかった。本番までが待ち遠しい。
ミルコンの演奏は良いに決まっていたし、naoさんはいつもどおり身体からなんか出てる。人々を釘付けにする。僕のソロ名義、毛利さん、呉服さんでのトリオはまたしても相変わらずスリリングな謎と意図しない
実験音楽の様相を歌でどうにかするスタイル。
全ての曲を終えた後、naoさんが一緒に演奏しようと言ってくれたのでもう二曲。何かキラキラしてまばゆい物となりました。

昔話や、懐かしい様な話は苦手なのですが、この日はなんとなくニューシネマパラダイスの銀幕から外に出て話していると、忘れていた事が沢山ありました。
福岡の家で仕事を終えて帰ってくるとなぜか家の中にnaoさんと友人がいて酒盛りをしていたり、
女の人に襲われるという珍しい事態に見舞われているところを救い出してもらったり、、、笑
とにかく次も一緒に演奏する約束をしてきましたので近い内に福岡でやりたいなと思います。
この日は楽しく終わるはずだったのですが具合が悪くなり、打ち上げは僕だけ少し離れて寝込んでしまい残念でした。
このところ、身体の悪さが表面化し具体的になったので気を付けたい。